【第二章】黄泉反す祭りの星夜の下に、命の縁は紡がれる
第六話 祭りの夜に

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 おにいちゃーん。
 と、呼ぶ声で目が覚めた。
 妹の……、マナミの声だ。 
 おいアスト!
 早く起きろ!
 という、威勢のよい少年の声がそれに続く。
「オレスか……?」
 地に寝そべっていたアストは、まだ重たい瞼をこすりながら欠伸(あくび)をした。「よくここがわかったな」と口にしたつもりだったが、欠伸にまぎれて舌足らずな寝惚け声が漏れただけだ。
 上空の《環》を眺めたまま、眠りこんでしまったらしい。なんだか懐かしい夢でも見ていたような気がするが、目覚めた瞬間に忘れてしまい、思い出せなかった。
「このやろう、こんなところにいやがったか。村長(むらおさ)が早く始めろって言ってんぞ。呑気に寝てる場合かよ?」
 星空の中に、友人の顔が浮かんだ。浅黒い顔に、挑戦的な鋭い眼差しがアストを見下ろしている。それがオレスだ。いつも目を怒(いか)らせているせいで不良少年と誤解されているところもあるが――いや、実際に彼は気が短くけんかっ早い。アストと取っ組み合いの大喧嘩になることもしょっちゅうだ。それでも不思議と馬が合うみたいで、いつの間にか連(つる)んで歩く仲になっていた。それにユータを加えた三人で、ちょっとした悪さを働いたり、問題を起こして騒ぎになったりするので、村の大人たちからは悪ガキ三人組として目を付けられている。
「早く行こうよ。この前も怒られたばっかりなのに、祭りの日までみんなに迷惑かけたら、僕たち本当に村を追放になっちゃうよ……」
 オレスの背後からおどおどした顔色を覗かせたのが、ユータだ。その名前から察するに、彼もアストやマナミと同じ、東方からこのグラードの地へ移住してきた者たちの子孫であるらしい。
 アストたちが生活するオーミの村には、こうした移民の子孫たちと、オレスのような、元からこの地に住んでいたグラ族の末裔とが、およそ半々の割合で暮らしている。近隣の村落と比べても、オーミには移民の子孫が多いようだ。
 三百年前に起こった七英戦争の時代に、この地にあったグラ族の村は戦火に包まれて壊滅してしまったのだが、そこへアストの先祖たちがやってきて村の復興に尽力し、そのまま定住するようになったのが今日まで続いているのである。
 オーミという村の名前も、その時に改めて命名されたものだと聞かされていた。
 村や家の歴史にはあまり興味がないのだが、自分の名前をご先祖様が使っていた文字でどう綴るのか、親に教えてもらったことがある。アストは明日≠ニ、人≠ニいう意味の文字を合わせた名で、マナミは愛する≠ノ美しい≠ニいう意味の文字を合わせた名前であるらしい。肝心の文字の方は、難しかったので忘れてしまった。姓はラディス≠ニいうグラード風のものに改められていたが、生まれた子供に付ける名前にはご先祖たちと同じような東国風の命名をするのが、家の慣わしとして受け継がれていたのである。
 ユータに訊いたことはないが、彼の名前はきっと勇ましい≠ノ、大きい≠ニか太い≠ニか……、よくわからないけどそういった具合の文字を使っているはずだ。ご先祖様たちが使っていた諺(ことわざ)に名は体を表す≠ニいうものがあるらしいのだが、必ずしもそうとは限らないのだな、と小柄で気の弱そうなユータを見ているとつくづく思う。
「お前、あんな脅しを本気で信じてんのか。あんなんで追放になるくらいなら、おれたち今までに何回村を追放になってんだよ」
 アストはユータの心配を笑い飛ばすように言ってみせたが、今までしてきた悪さが積もり積もったら、追放一回分くらいは優に越しているだろうと思わなくもなかった。
「だってさ――いてっ!?」
 さらに何か言いかけたユータの頭を、オレスが小突いた。
「お前はいちいち大袈裟なんだよ」
「畑と山が燃えた焼き芋パーティーのアレに比べりゃ、な」
 言いながら、アストは何の気なしに頭をさすっていた。擂り鉢を持った母に、これでもかというほどの勢いでぶん殴られたことを思い出す。あの時は、喩えでも冗談でもなく「頭が割れる」と思った。アストの家では、母が死んだ父の役割も兼ねているようなところがある。
 もちろん、アストたちは山火事を起こすつもりなどなかった。ただ、畑から失敬してきた焼き芋を、あまり人目につかない場所でこっそり焼こうとしただけなのである。
「そういうこった。この前のはそんな大したことじゃねえって。あれはまぁ、なんつうか……」
 そこで急に歯切れが悪くなったオレスが、泳ぐような目つきでマナミの横顔を窺った。
「お隣のお風呂を窓から覗こうとしたら、犬に吠えられてびっくりして、三人仲良く風呂場に落ちてったんですってね。――最っ低!」
 マナミの大きな黒い瞳が、兄を含めた三人の少年たちを非難するような視線を投げかけた。年は一つしか違わない妹だが、アストよりよほどしっかりしていて、悪さを働いたり、怠けたりしているのが見つかると、よく怒られる。
「そりゃ、仰る通りで……」
 普段は怖いものなしのオレスでも、マナミにはあまり強く出られないようだった。彼の態度からは、どうもマナミに気があるのではないかと感じられる節があるのだが、悪友と妹が交際を始めるような事態になったらと想像するのは、兄として複雑な心境である。その気分をごまかすように、アストは上体を起こしながら口を開いた。
「犬にびっくりなんかしてないよ。追い払おうとして腕を振ったら……、ほら、はずみで窓の向こうに落ちるのが道理だろ?」
「そんな道理はありません! おにいちゃんのばか! 家族じゃなかったら、本当に村を追い出してもらいたいくらいなんだから!」
「お前そんなこと言って、本当におれが追い出されたら困るだろ? おふくろと二人だけでうまくやっていけんのかよ?」
「うん。家(うち)のことなら、おにいちゃんがいなくてもだいじょうぶ」
「え?」
「私だってもう見習いの仕事は始めてるし、お母さんもいらいらの種がなくなって、きっと清々すると思うよ」
 あっさり肯定されると、アストにはまともな反論の言葉が見つからなかった。
「……まぁ、言われてみるとそうだな。おれがいないとみんなが困るというより、みんなが困る原因を作っているのが、おれだからなぁ」
 しみじみと納得してしまう。
「そうでしょ」
 やっと理解してくれたか、とでも言いたげな具合にマナミが肯く。
「あーわかったわかった。反省するから、独り立ちするまでもうしばらくは家に置いてくれよ」
 それ以上妹の相手をするのが億劫だったので、適当に生返事をして立ち上がった。
「へっくし!」
 くしゃみと同時に、一度だけ身震いした。少し肌寒い。寝ている間に身体が冷えてしまったのだろう。
《黄泉(よみ)返しの祭り》が開かれるということは、夏も終わりなのだ。
「こんなところで寝てるから、風邪ひいたんでしょ」
 マナミの、じとっとした視線が頬に刺さる。
「うるさいな」
「じゃあ、さっさと行こうぜ。怒鳴られんのには慣れてっけど、主役がいないってんじゃ、祭りがしらけちまうもんな」
「脇役だろ? 戦士様の櫓(やぐら)は新前のやつらが動かすんだぜ。おれたちは、あの汚い妖怪おばばの櫓」
「今年は違うんだよ! 戦士様でも汚い妖怪おばばでもねえ! この俺が主役だ!」
 いつもは村の行事なんて面倒くさがって途中でばっくれてしまうオレスだが、今年の祭りに限っては珍しく張り切っているようだった。
 でも、彼がいくら息巻いたところで、やっぱり祭りの主役は戦士様と新前たちになるんだろうと思う。アストたちと妖怪おばばは所詮引き立て役に過ぎず、精々見事なやられっぷりを演じて主役に華を添えるだけだ。張り切っているオレスには悪いが、アストはこの役回りがちっとも面白くない。だから、馬鹿馬鹿しくなってこんなところで不貞寝していたのである。
 村から少し離れた丘の上に程よく開けた草地があって、天気のいい日は海も見えるし、夜は満天の星空を眺めることができて、お気に入りの隠れ場だった。麓のブナ林を抜けて頂上まで登ってくる人は滅多にいないので、見習いの仕事が辛くなったときは、いつもここに逃げてくるのだ。ここには八重桜の樹が一本だけ植えられていて、春には紅紫色の花を咲かせて目を愉しませてくれる。葉桜になった後もちょうどよい木陰を作ってくれるので、そこで海から風に乗ってやってくる潮騒(しおさい)の音を聴いていれば、日差しが強い日でも涼しく眠ることができた。せっかく見つけた憩いの地を独り占めにしたくて、今まで妹や友人たちにも教えていなかったのに、ついに探し当てられてしまったようだ。
 祭りが終わるまでここで寝ていたかったくらいだが、友人たちの顔を見てしまうと、さすがに気後れを感じる。こうなったら、無理にでもやる気を掘り起こすしかない。
 唯一、頑張ってみる価値があると思えるのは、勝者に与えられる褒美くらいだ。
「勝てば、酒が呑み放題だっけ?」
「村長が約束したんだ。戦士様に勝ったら、特別に好きなだけ呑ましてくれるってさ」 
「でも酒なら、どっから持ってきたのか知らないけど、この前も呑んでただろ」
「正々堂々とたらふく呑めるってのがいいんじゃねえか。なにより、自分たちの力で勝ち取った酒なんだぞ? みんなででっけえ焚き火を囲んで、大声で歌いながら気分よく酔っ払えるのなんて、今日くらいしかないぜ」
「そりゃあな」
「全くさ、半人前のうちは酒呑んじゃいけないなんて、誰が決めたんだか知らねえけど、むかっ腹にくる話だよな」
 そのように愚痴ってむくれるオレスの気分は、同じ年頃の少年としてわからなくもない。とかく見習い成人――アストたちの村ではこれを半人前≠ニ呼び、今年成人したばかりの者は新前≠ニ呼ぶ――というやつは、肩身が狭くて窮屈なものだ。「もう子供じゃないんだから」と働かされてこき使われる一方、「まだ子供なんだから」と行動にはやたらと制限が多い。飲酒に限らず、他には婚姻なんかも許されないし、村の集会に出て意見を述べたり、賛成か反対かの票を投じる権限も与えられていないのである。都合のいいように大人と子供の立場を入れ替え挿げ替え押し付けられているだけで、大人でもなければ子供でもない。
 それなら、自分たちはいったいなんだというのだろう。
 自分の立っている足場が、ひどく不安定で頼りないものに思えてきて心細くなる。
 そんな具合に鬱屈としてしまいそうになる気分は、アストやオレスに限らず半人前≠フ少年たちなら、誰もが共有しているはずのものだった。
「ま、今日一日くらいは派手に暴れまわって日ごろの憂さを晴らそうぜ。ちょっとばかし先に生まれたくらいでエラそうに指図してくる新前どもを、おおっぴらにぶちのめせる絶好の機会なんだ。これを逃す手はねぇ! よっしゃ燃えてきた! うおおおおおおおっ!」
 オレスが急に大声を上げて駆け出した。鍛冶場で見習いをやっている彼には相当嫌な新前の先輩がいるらしく、会えばいつもその愚痴ばかり聞かされる。それでも、見習いを都合三回ほど首になって、仕方なく薬師(くすし)の母の仕事を手伝うことになった自分と比べれば、オレスはよく耐えて踏みとどまっていると思う。なにも取り得がなさそうなユータだって、動物にはなぜか好かれやすいらしく、牧場(まきば)で豚や鶏の世話をしながら立派に見習いをやっている。
 自分は家業を継ぐことにした、といえば一応の体裁は繕えそうだが、そんな言い訳を用意しているのがとても恥ずかしいことであるという自覚はしていた。
「あぁ、ちょっと待てって」
「なんだよ!?」
 アストに呼び止められたオレスは、せっかく盛り上がってきた気分に水を差されて不機嫌そうに振り返った。
「今さらズラかる相談なんて乗らねえぞ! 今宵の俺はもう止まらねえ! 誰がなにを言おうと、ひたすらこの道を突き進む!」
「あ、そう。こっちに近道があるんだけど、そういうことなら無理にとは言わないよ。じゃあ、おれたちはこっちに行くから」
「あ!? おいふざけんな!」
 マナミとユータを引き連れて近道を降りていくと、オレスが何事か喚きながら必死の形相で追いかけてきた。
「今宵大将を務めるこの俺に、こんな無礼が許されると思ってんのか!」
「大将? どこのサル山から来たんだよ!」
「なにいぃぃぃぃ!? サルだと!? 許さん!」
 そこでオレスが猿のように跳びはねて怒ったのが面白かったので、彼以外の三人で笑いあう。
「ねえ、おにいちゃん」
 あまり笑いすぎるのも可哀想だと思ったのか、マナミが口元を押さえながら話しかけてきた。肩口のあたりで揃えた黒髪が、夜風に弄ばれて頬にかかっている。同じ血を分けた兄妹でも、妹の髪は艶々していて柔らかそうで、自分とは似ても似つかない。
「ん?」
「どうしてこの辺りの道に詳しいの? 私たち、ここまで来るのに結構迷っちゃったんだけど……」
「そりゃあ、薬の仕込みほっぽり出して、ここでよく昼寝してるからだよ」
「ふうん、そうなんだ」
 そこでマナミが意味深な微笑を見せた。
「いいこと聞いちゃった。じゃあ、今度お母さんがおにいちゃんを探してるときは、ここにいるって教えてあげるね」
「げ……、お前それは本当に洒落にならないぞ」
 うっかり口を滑らせたのに気付いたアストは、これから始まる祭りのことよりも、お気に入りの昼寝場所がもう使えなくなってしまうことの方が問題だと思い始めていた。



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