【第二章】黄泉反す祭りの星夜の下に、命の縁は紡がれる
第八話 天敵現る

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「なんだ、サーシャか」
「なんだじゃないだろ! 戦士様の櫓の方はとっくに準備ができてんだよ! あんたたちもさっさと仕度を済ませて、戦士様に叩きのめされてきな!」
 片方の手を腰に当てた少女は、あまり成長の見られない胸を張りながらオレスを真っ直ぐに指差してきた。彼女は村長(むらおさ)の孫娘で、名をサーシャという。両肩にかかるようにおさげ髪を垂らしていて、色白で目も大きく、それなりに可愛らしい顔立ちをしているのだが、いかんせん、向こうっ気が強くて口が悪い。同じ年頃の少年たちと喧嘩をするのは日常茶飯事で、特にオレスとは犬猿の仲にあるといってもよかった。いや、むしろ天敵と呼んだ方が正しいかもしれない。
 いくら喧嘩っ早いオレスといえど、女の子に向って手を上げるような真似はしないので、いつも彼だけが顔にひっかき傷やら、腕に歯型の痕(あと)を作って、「ちくしょう、あのやろう……! いつか絶対泣かしてやる!」とアストたちの前で愚痴(ぐち)っているのだ。ちなみに、オレスがサーシャを泣かせたことは、今までに一度もない。
「なんでえ。まるで俺たちが負けるのが決まってるかのような言い草じゃねえか」
「負けるに決まってるだろ! ただでさえ、あんたたちは村のお荷物で疫病神なんだから、妖怪おばばの櫓ごと焚き火に投げ込まれるくらいじゃないと、厄が祓(はら)えないだろう!」
 オレスが口を尖らせると、さらなる毒言(どくげん)が矢のように飛んできた。相手にしないのが一番なのだが、オレスは黙ってやり過ごすことができないようで、いつも一言二言言い返そうとして、余計に深手を負っている。
「……妖怪胸なし女のくせに、ごちゃごちゃとエラそうに……」
「なにか言った!?」
「い、いいや! なんでもねえ! んじゃ、早く準備終わらせるぞ!」
 聞こえない程度の声で精一杯の抵抗を呟いたオレスは、逃げるように櫓の下へ駆けていって、チャラムたちにあれこれと指示を出し始めた。
「アスト! これ着ろって!」
「ああ」
 オレスが投げ渡してきた外套を受け取り、羽織った。少しひんやりする。人形櫓の戦いでは花火を使ったりするため、表面が軽く湿らせてあるのだ。それは櫓自身の飾りつけにしても同様で、妖婆の櫓なら雑巾で作った白髪と、櫓の骨組みを隠すように巻き付けてある長衣にも、水を含ませてある。
「マナたちが手伝ってくれた衣装、好評だったみたいだよ」
「ほんと? よかった――って素直に喜べるわけじゃないけど……」
「男なんてみんな、スケベなんだから」
 後ろの方で、マナミとサーシャがなにごとか囁きあっているのが聞こえた。
 この祭りは、新前と半人前の年長の男女が中心となって取り仕切っているのだが、それ以外の半人前たちも駆り出され、衣装作りや櫓作りの手伝いをやらされる。
 アストたちのように十六になり、半人前として最後の年を迎えた男子たちは、櫓を動かして危険な決闘を行わなければならないのに対し、女子には《灯送(ひおく)りの儀》というものがあり、十六を迎えた女子が総出で神火(かみび)を灯した松明を手渡ししながら、御神火台(ごしんかだい)に投げ入れるのだ。
 この辺りでは古くから、子供たちの魂には妖婆イゼレバの息がかかって穢(けが)れているから、大人たちの言うことを聞かずに反発したり悪さを働いたりするのだ――と考えられていて、女子は神聖な火を運ぶことで、男子は厄を打ち祓(はら)う戦士の櫓と戦うことで、穢れた魂が清められるとされていた。
 そのようにして半人前最後の年に穢れを落とし、晴れて翌年の成人式に臨むことができるのである。
 なにかの間違いで、半人前の妖婆櫓が新前の戦士櫓に勝ってしまうようなことがあっても、戦士と妖婆の櫓を共に燃やすことで半人前たちの穢れを祓うことはできるらしい。ただ、妖婆の怨念はあの世からでも強い影響を及ぼすので、戦士様の守護が受けられない一年間は、村に良くないことが起こると言われている。
 本来は、戦いに勝利した戦士櫓と、櫓の中に納められている彫像(ちょうぞう)を村に招き入れて聖堂に飾り、災いが起こらぬよう人びとの生活を見守ってもらうのがこの祭りの目的なのだ。オレスが張り切っているから口に出さないでいるが、祭りを成功させる前提として、アストたちは、勝ってはいけないのである。
 それにしても、男子に比べれば女子の方が楽でいいと思う。男子は新前の年になっても櫓の戦いをやらなければならないが、新前の女子たちはその前座として《招魂の舞》を踊ればよいだけなのだ。
 もちろん、踊りは踊りで稽古があるし、男たちからいやらしい目で見られたりすれば嫌な思いもするのはわかっているが……。
「女って、ヘンだよな」
 オレスとユータは櫓から外した覆いを畳んで、風で飛ばされないように大きめの石を幾つか乗せて重しにしていた。
「どうして?」
「そんなに見られるのがイヤなんだったらさ、そういう衣装を自分たちで作ったり着たりしなければいいんじゃねえかよ」
 二人がそんな会話をしていたのを、サーシャが聞き逃すわけはなかった。
「あんたたちに見せるためじゃなくて、戦士様の御魂(みたま)をお迎えするためにやってんだよ!」
「へいへい。じゃあ、戦士様がスケベなんだからしょうがねえな」
「罰当たりなこと言うんじゃない! 今年は絶対、あんたが怪我すればいいのに!」
「冗談じゃねえや。それはユータの役目だ」
「なんで僕なの!? 僕を楯(たて)に使うつもりなら、櫓なんか降りるよ!」
「わかったわかった! 楯にはしねえよ。しねえから、櫓には乗れ。――な?」
 サーシャに毒づかれたり、ぐずつくユータをなだめたり、オレスもなかなか大変なようだ。
「マナ! あんたのバカ兄貴がまた逃げたりしないように、しっかり見張っときなよ!」
 ……と思っていたら、こちらにも矛先が向いてしまった。
「うん、わかった!」
 マナミがしっかりと腕を掴んで放さないつもりのようだったので、アストは急に照れくさくなった。兄妹の仲は割といい方かもしれないが、小さかった頃と同じように手を繋いだりなんかはとてもできない。
「おれも準備を手伝うから、手ぇ放せって」
「ほんとに? おにいちゃんはいつもそんなこと言って、すぐ逃げるんだもん」
「信用ねえんだな、おれ」
「うん。だってお母さんが、『もう逃げないでマジメに仕事を手伝う』って言ったおにいちゃんが、二秒後にはいなくなってたことがあるって言ってたよ。冗談半分だと思うけど」
「ああ、それな。……本当だ」
 あれは会心の逃走だった。しかし、同時に失った信頼は、二度と取り戻せないもののようだ。
「うーん……、やっぱりうちのおにいちゃんって、ダメなのかも……」
 いつもはアストを庇ってくれるマナミにまで呆れられるとなると、村は追放されなくとも、自分の家からの追放は近いような気がしてくる。
「ダメ兄貴で悪かったな!」
 少々乱暴に妹の手を振りほどいて、櫓から外した縄をまとめているチャラムたちを手伝うことにした。
「なあマナミちゃん、そんなダメ兄貴じゃなくて、俺のことを頼りにしてくれたっていいんだぜ?」
 そこを見計らっていたかのような頃合いで、自分の外套に身を包んだオレスが近づいてきた。
「オレスさんを? どうして?」
「どうしてって、そりゃなんつうか、やっぱ男として――あだっ!」
「あんたを頼りにするくらいなら、オルグさんを頼りにした方が何倍もいいだろ!」
 跳び上がってオレスの後頭部をはたいたのは、やはりサーシャだ。
「兄貴は関係ないだろうが!」
「大アリだね! 若くして偉大な英雄の再来と称えられている優秀な兄と、若くして早くも村の厄介者の粗大ゴミと成り果てた愚かな弟。どっちが頼りになるかなんて、うちのリリにだってわかるよ!」
「そりゃあ、お前んちのバカ猫がたまたま俺のことを嫌いなだけだろうが!」
「バカ猫とはなんだ! うちのリリは賢いんだよ! オルグさんにはちゃんとなついて撫で撫でしてもらうんだから!」
「へっ、どうだか。しょっちゅう迷い猫になって泣きながら村中を探し回ってるくせに、自分の家にも帰れないようなバカ猫の、いったいどこが賢いんだよ!」
「なんだと! リリをバカにするな!」
 サーシャは束の間オレスと睨みあった後、鼻を「ふん!」と鳴らしながらそっぽを向いた。
 リリというのは彼女が飼っている白猫で、これが飼い主に似てやたらとオレスを敵視しているようなのだ。オレスが近づくだけで全身の毛を逆立てて威嚇してくるし、それでも構わずに撫でてやろうとすると、飼い主と同じように爪で引っ掻いて攻撃してくる。……もしかしたら、飼い主の方が飼い猫に似ているだけなのかもしれない。
 でもリリは、アストやユータを特に嫌っていないようだし、オレスの兄にはよくなついているようだから、いったい弟の方の何が気に食わなくてそうなってしまうのかよくわからない。
「それにしても、オルグさんはほんとに立派だよ。どこぞのバカダメ兄貴と違って、ここぞというときに逃げたり隠れたりしないし……。マナはよく我慢してられるね。あたしだったら、とっくに家から叩き出してる」
「おにいちゃん、言われてるよ」
「はいはい、聞こえてるよ」
 サーシャの毒舌はいつものことなので、聞き流しておけばいいと思う。アストとしてはほとんど無視しているつもりなのだが、サーシャとマナミの仲が良いせいで幾つかは嫌味を言われる羽目になる。もっと友人を選ぶべきだ、と妹に言った方がいいのだろうか。だが、悪友たちとつるんで問題ばかり起こしている自分が言ったところで、説得力は皆無だろう。
「まぁ、お気に入りの場所が見つけられちまったから、これからはあんまり逃げたり隠れたりできなくなったけどな。……でも、どうしておれが裏の丘にいるってわかったんだ?」
 ふと、そのことが気になったので口にしてみた。あの場所は誰にも教えていなかったはずなのに、どうして今日に限ってあっさり見つかってしまったのだろうか。
「マナミちゃんがさ、お前がふらふらと裏の丘のほうに歩いていくのを見てたんだってよ。それで三人で行ってみたら、お前が大の字で寝っ転がってるのを見つけたってわけだ」
 オレスがすぐに種明かしをしてくれた。
「そうか、お前のせいか……」
「うう……」
 ちょっと睨んでやると、マナミは視線を逸らして身を縮こめた。
「よくもやってくれたな。一生とは言わないが、結構それなりに恨んでやるからな」
「おにいちゃんが悪いんでしょ……!」
 前々から、どこに隠れて怠けているのかマナミがしつこく追求してくるので、どうせ母親の差し金だろうと無視を決め込んでいたのだが、警戒が甘かったようだ。
「でもまぁ、裏の丘で隠れる場所なんて限られてるし、いつか見つかりそうな気はしてたけどさ」
「そういや、俺たちでも、あっちはあんまし行かねえな」
 ガキの頃はよく探検ごっこもしたもんだけどよ、とオレスは付け加えた。
「女山の祟りが怖くなったのか?」
「馬鹿言え! ユータじゃあるまいし、この俺が祟りなんかにびびったりするかよ」
「なんでそういう時って、いつも僕を喩(たと)えに出すんだよ……」
 ユータが不貞腐(ふてくさ)れたような声で呟く。
「お前、そんなこと言える立場か? 女山でかくれんぼしてたときに、草むらから野ウサギが飛び出してきただけでびびってしょんべん漏らしたのは、どこの誰だったっけかな?」
「そんなの、もう十年以上も昔の話だろ!」
「どうかな? 案外今でも漏らしちゃうかもしれないぜ?」
「も、漏らさないよ!」
 オレスにちょっとからかわれただけで泣きそうになっているユータを見ていると、今でも怪しいものだと思ってしまう。
 女山に入って狩猟や採集を行うと祟りがあるという言い伝えがあって、村民でも普段はあまり入山することがなかった。例外として、妖婆の櫓を組み立てるのに使う材木を切り出す時のみ、女山に入ることが許される。あとは、祭りの当日に半人前たちが麓を控えの場として使うくらいだ。厄を運んでくる妖婆の櫓は村に入れられないので、材木を切り出してから組み立てるまでの作業は、すべてここで行うことになっていた。
 一方、戦士様の櫓は、代々受け継がれているという面(めん)以外を男山から切り出された材木で組み立てるのだが、こちらの山には祟りなどない。
 なぜ女山が祟り山として恐れられるようになったのか、その由来は定かではなかった。男山と女山という、名前にしてもそうだ。
 祭りで戦士様の櫓と妖婆の櫓をそれぞれ配置することからそう呼ばれるようになったのか、それとも、前からそういう呼び名だったのか、はっきりしない。そういえば、裏の丘、というのもちゃんとした名前はないのだが、裏の丘といえば、女山の裏手にある丘のことだ、と村の人間には通じる。
 裏の丘も女山の周辺に属していると考えられていたので、子供が遊びにいこうとすると怒られるのはもちろん、大人であろうと無闇に立ち入ることはなかった。
 ちなみに、男山の裏にも小さな山が一つあって、それが焼き芋を焼こうとして丸焼きになってしまったという、例の山である。
「たいしょー! 櫓の準備終わったぞー!」
 櫓の方へ視線を向けると、チャラムたちが手を振って呼んでいた。
「お? わりぃ! 今行くよ!」
「あっ! あんたたち! また怠けてみんなに迷惑かけたな! ほんとはこんなところで無駄話してる暇なんてなかっただろ!」
「自分だって散々無駄話しといて、よく言うぜ。灯送りの準備はどうしたんだよ」
 思い出したように憎まれ口を叩くサーシャに、オレスが肩をすくめてみせる。
「あたしたちの準備はとっくに終わってるんだよ! あんたたちがグズグズノロノロしてるから灯送りも始められないんだろう!」
「アスト、こいつなんとかしてくれ」
「イヤだな。ユータに任せる」
「だから、どうしてイヤなことは全部僕に回すんだよ……」
「あたしの相手がイヤってのはどういうことだよ!」
「面倒なんだよ!」
 アストとオレスは声を揃えて言うと、櫓に向って逃走した。
「あ!? 待ってよー!」
 こういう時、だいたいいつもユータが出遅れる。
「なんなんだあいつら! マナ! 灯送りが終わったらそっちに行くから、あいつらがボッコボコにやっつけられるところをたっぷり見物してやろう!」
「う、うん……。――おにいちゃん! 頑張ってね!」
「ああ」
 腕だけを振って、背中にかけられた声に応える。
「マナミちゃん! 大将の俺の勇姿も、しっかり見てくれよな! ――おわっ!?」
 わざわざ後ろを振り返りながら叫んだオレスは、石に蹴つまずいて危うく転びかけた。
「あははははっ! その調子でたくさん笑えるところを見せて欲しいもんだね!」
「ちくしょう、あのやろう……! いつか絶対泣かしてやる!」
 サーシャの笑い声に追いかけられながら、オレスはいつもの科白(せりふ)を吐いていた。



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