【第二章】黄泉反す祭りの星夜の下に、命の縁は紡がれる
第十一話 暴走おばば

BACK / NEXT / TOP




「――っ!?」
 オルグの瞳に驚きの色が浮かんだ。同時に振り払われた木刀の切っ尖が、宙でなにかを捕らえた。飛び散る粉末。
 くしゃみ袋だ。
 ユータの方から飛んできたように見えたが、投げ込んだ頃合いが絶妙だった。
「まだ隠し持っていたのか……!」
 蹲(うずくま)ったオルグが外套で目鼻を庇うのを見ていたアストは、起死回生の好機が訪れたことを知った。
「でかしたぞユータ!」
 叫び、手放していた木刀を引っ手繰(たく)るように掴み直す。攻め手の新前二人は、自分たちの頭上でなにが起こったのか理解できずに、唖然としているようだった。「あっ!?」という驚声が漏らされる間に彼らの木刀を払い落とす。二人とも勝手に勝利を確信して、攻撃の手を休めていたのが隙となった。
 オルグは、まだ蹲ったままだ。このまま、戦士櫓の面を攻撃することもできるのではないかと思えた。――しかし、
「うっ……!?」
 鋭い眼光。
 緋色の外套の陰から、アストを捉えていた。
「早く退(ひ)いてくれ!」
 押し手の少年たちに叫んだ直後のことだった。
 頭上から、打ち下ろしの一刀。
「うわっ!?」
 木刀を合わせ、辛うじて防ぐことができた。
 妖婆櫓が後退を始める。戦士櫓は、まだ追撃の態勢が整っていないようだ。
「まさに九死に一生ってやつだな」
 アストは額に滲んでいた汗を拭いながら、大きく息をついた。
「さっきのくしゃみ袋、ユータがやったんだろ? あれのおかげで命拾いしたようなもんだ」
「オレスが落としたやつの中に、一個だけ、割れてないのがあったから……」
 左手の足場から、しゃくりあげるような声が返ってきた。
「なんだよ、まだ泣いてんのか」
「僕だって……、少しは役に立つところを、見せたかったんだ……!」
 彼なりに、木刀を失った分をなんとしてでも挽回したいという焦りがあったのかもしれない。ユータの気持ちがちょっとしたことでも追い詰められてしまうのは、彼が繊細なせいだけではなく、いつも彼の失敗を詰(なじ)ったり馬鹿にしたりするアストたちのせいでもある。そのことに対して、アストは責任を感じないわけではない。
「お前は、十分よくやったよ」
 実際、敗北が決定的な状況を脱することができたのだから、ユータの働きは素直に褒められるべきものだと思った。
 オルグも、ユータが泣き虫で臆病なのはよく知っているから、戦力的に脅威になりえると認識していなかったのだろう。だからこそ、うまく不意を打つことができたのだ。
「うむ、二人ともいい働きだったぞ。だが、この俺の指示を待たずして勝手に後退したのはいただけんな」
 いつの間にか足場に戻っていたオレスが、二人を見下ろすように左右へ睨みをきかせた。
「大将がやっつけられたんだから、誰かが指揮を引き継ぐのが当然だろう?」
「俺はやっつけられてねえって!」
 アストの言い様を、オレスがむきになって否定する。
「命乞いまでしてたくせに、よく言うよ。『お助けー!』だっけ?」
 泣きやんだばかりのユータも冷やかしに加わった。泣いていても、オレスが情けない声を上げながら櫓の外へ落ちていったのは、しっかり聞いていたようだ。
「あ、あれは、兄貴を欺(あざむ)いて油断させるための策だ……! ヤツめ、まんまと俺様の芝居に引っ掛かりやがった!」
「ふーん……」
「信じてくれって!」
 ユータにまで馬鹿にされたオレスだが、自分が醜態を曝したばかりなのであまり強く言い返せないようだ。
「でも、これからどうするんだ?」
 アストには特にいい考えが思いつかなかった。自分を除いて二人が武器を失ってしまったし、もう一度真正面から当たりにいくのは、自殺行為だろう。
「ここはやはり大将の俺に任せてもらうしかないな。とっておきの奥の手がある」
「とっておき? なんか、嫌な予感しかしないんだけど……」
「櫓を見晴し台に向けてくれ!」
 ユータの懸念を無視するように、オレスが押し手に進路の指示を出した。
「えーっ!? この櫓で見晴し台に上がるつもりなのか? 勘弁してくれよー!」
 押し手のチャラムたちからは、一斉に不満の声が漏らされる。
 ここからすぐ北の方に高台があって、そこからは東の男山と、西の女山、南にあるアストたちの村が一度に眺望できるため、村民たちは見晴し台と呼んでいた。だが、見晴し台へ出るためには少々長い坂を上る必要がある。馬車や手押しの荷車が登るための登攀路(とはんろ)があるにはあるのだが、巨大な櫓を押して登るというのだから、無茶な話である。おまけに、三回にわたる搗(か)ち合いの無理が祟って、地面にちょっとした凹凸があるだけでガタガタと揺れるようになっていた。骨組み自体が傾いてきているのか、足場も水平には戻らない。
 妖婆櫓は、もはや満身創痍の状態だった。
「お前ら! 文句言ってやらずに負けたら、食った干し肉の分はぶん殴らせてもらうからな! つべこべ言わずに黙ってやれ!」
「干し肉一つでこんなに働かされるなんて割に合わないよ! 来年は、絶対にオレスなんか大将にしないからな!」
「うるせー! 今年も! 来年も! その先も永遠に! 大将はずっと――、この俺だ!」
 立てた親指で自らの顔を示しながらオレスが叫ぶ。
「いくつになっても櫓に乗るつもりなのかよ……」
 チャラムたちは口々に文句を言いながらも、櫓を見晴し台の方へと向けてくれた。
「ちょっとちょっとあんたたち! なに逃げようとしてんだよ! 早く戻りなって!」
 妖婆櫓が祭りの会場からどんどん遠ざかっていくので、観衆の中から抜け出してきたサーシャが注意してきた。
「逃げてねえよ!」
「逃げてるじゃないか!」
「逃げてねえって! ちょっくら戦場からは遠ざかってるだけだ!」
「それを逃げてるって言うんだよ!」
 オレスとサーシャが言い争う間に、櫓が坂道に差しかかった。櫓の進行速度が、ぐっと遅くなる。
「うわー!? やっぱり重いぞーっ!」
 チャラムたちもかなりきつそうだ。腰に巻いていた命綱を解いたアストは、縄梯子(なわばしご)を放り投げるように垂らして、櫓を降りた。押し手たちがいる丸太の方には入り込む余地がなかったので、後ろに回りこんで妖婆のお尻を押すような恰好で櫓に取り付く。
「おれたちも櫓を押すぞ!」
「うん、わかった!」
「なんでだよ? 俺は大将だぞ!」
 櫓の上に向って呼びかけると、ユータはすぐに応じてくれたが、オレスは渋ってなかなか降りてこようとしない。皆が指示通りに櫓を見晴し台に上げようと協力してくれているのに、そんな態度を見せられてアストは少し苛立ちを覚えた。
「人が乗ってる分だけ無駄に重いんだよ! 早く櫓を降りて手伝えって!」
「わかったよ! ……ったく、なんで大将の俺がこんなことをやらなきゃならんのだ! ――せーのっ! うお!? なんなんだこの重さは!?」
 ぶつぶつ文句を言いながら降りてきたオレスも加え、みんなで力を合わせて櫓を押し上げる。全身の力を振り絞りながら一歩ずつ前に進むのだが、時折靴が滑って斜面の土を削った。
「よいっしょっと! あんたたち……! こんなことして、一体なにを企んでるんだよ!」
 なぜかサーシャも櫓を押すのを手伝ってくれていた。
「女には理解できなくてもなぁ! 黙って事を為さなきゃならねえ時が、男にはあるんだ!」
 オレスがよくわからないことを口走る。
「あ、そう! じゃあ、理解できないから手伝うのやめた!」
「あ!? 待ってくれサーシャちゃん! 今のは謝るからもう少しだけ手伝ってくれ! ごめん!」
 立場の弱さを自覚したのか、オレスがすぐに謝り始めた。サーシャに力仕事を期待しているわけではないが、人手が一人増えるか減るかで、気分はだいぶ違うものだ。
「たく! あんたって男は、いつも調子いいんだから!」
 そうこうしているうちに、なんとか櫓を見晴し台の上まで持ってくることができた。
「やっと着いたぁーっ!」
 すっかりへとへとになったチャラムたちがその場に座り込む。櫓を押して坂を登るのは想像していた以上の重労働だったので、全員汗まみれになっていた。
「へへっ……、俺たちが、ただコソコソと、逃げ回っていたと、思うなよ……!」
 息も切れ切れになりながら、オレスが再び櫓の上に登っていく。アストも妖婆の右手へ戻ったが、手足にかなり疲労が溜まっていた。
「で、あんたたちは、こっから一気に勢いを付けて、戦士櫓に、ぶつかってく、つもり……?」
 サーシャも相当疲れたらしく、地面に座り込んだまま、はぁ、はぁ、と荒い呼吸を繰り返している。
「お前、なんで、俺の作戦を、見破ることが、できたんだよ……!?」
「あんた、ほんとに、バカだね……! 誰だって、そう、思うよ……!」
 それはサーシャだけではなく、見晴し台の上に行けとオレスが指示したときから、皆がわかっていたことだ。
「なん、だと……!? ちく、しょう……!」
 そう言ったきり、オレスはしばらく押し黙った。皆、呼吸を整える時間が必要なくらい消耗していたのだ。
 アストは麓の方に視線をめぐらせて見たが、焚き火で明るくなっている祭りの会場だけが夜闇の中に炙り出されて見えるだけだった。祭りのために村民が全員出払っているから村の方に灯りはないし、男山も女山も黒い大きな影の塊にしか見えなくて、とても不気味な感じがする。
 ここから見た限り、戦士櫓の方に動きはなかった。
 あちらでは、妖婆櫓の突飛な行動に呆れていたりするんだろうか。
 呆れているんだろうな、と思う。
「でも、オレスさぁ」
 少し落ち着いてから、ユータが口を開いた。
「なんだよ」
「僕たちはもう武器を持ってないんだよ。どうするつもりなの?」
「俺んとこにまだ花火が残ってる。これで援護くらいはしてやれるだろ。あとは――」
 オレスが、足場の縁(ふち)から顔を出してこちらを覗いてきた。
「アスト、頼んだぞ」
「ああ」
 アストは肯いてみせたものの、内心では、無理だろうな……、と思っていた。とりあえず、木刀を握れそうな程度には握力が回復してきているが、あのオルグが守っている戦士櫓の面に一撃を入れて割る自信など、あるわけがない。勝つにしろ負けるにしろ、この特攻が最後になるのだからと考えて、思い切りぶつかっていくしかなさそうだ。
「まぁ、派手に散ってきなよ。あたしは疲れたから、もうちょっと休んでからそっちに降りるよ。松明を、一個だけ貸してくれる?」
「ほらよ」
 オレスがぶっきらぼうな返事とともに、火を灯した松明を下へ放(ほう)った。無論、サーシャが受け取れるはずもなく、燃えたままの松明がしばし地面を転がる。
「ちょっと!? 火点けたやつを投げ落とすなんて危ないだろ!?」
 サーシャが文句を言いながらも松明を拾い上げた。
「わりい。もう一回櫓を降りたり登ったりするのがしんどかったからさぁ。……んじゃ、こっから俺たちの勝利の瞬間をしっかり目撃してくれよな」
「あんたたちが木っ端微塵になるところを期待してるよ。じゃあ、さっさと行ってきな」
「ちっ、やっぱりかわいくねー女だな。まぁ、いいや。――よし! そろそろ行くか!」
「おおぉ……」 
 オレスが立ち上がって声をかけたが、皆の返事には元気のかけらもなかった。
「ねえ、アスト」
 左手の足場から、ユータが呼びかけてきた。
「どうした?」
「さっきから誰も言わないから、気にしてる僕が変なのかもしれないけど……」
「なんだよ、言ってみろって」
「ここからさ、登ってきた道じゃなくて、こっちの急斜面を一気に櫓で降りて行くんだろ?」
「そうだよ」
「それって、すっごく、危ないことなんじゃ……」
 ユータが言うとおり、ガタがきている妖婆櫓で斜面を駆け下りれば、途中で倒れたり壊れたりする危険は大いに考えられた。
「ああ、そうだな。そんなの、この坂を見れば誰でもわかる話だ」
「え?」
「え?」
 ユータがびっくりしたような返事を寄越したので、アストは、自分がなにかおかしなことでも答えたのかと思った。
「よーし行くぞ、みんな!」
 櫓の上では、オレスが突撃の号令をかけようと、大きく息を吸い込んでいるのが見えた。
「待ってオレス! やっぱりやめ――」
「逆(さか)落としだあああっ!」
 ユータの声を掻き消すように、オレスが号令を下してしまった。櫓が、斜面を下り始める。最初はゆっくり。だが、徐々に速度が上がる。
「あ、あれ!?」
 押し手のチャラムたちが、慌て始めた。
 櫓の加速が、止まらないのだ。
「やべえ! とまらねえぞ!」
「ごめん! 俺ついてくのムリ!」
「あわわわわわ……! 足が追っつかねえって!?」
 次第に、脱落する者たちが出てきた。櫓を離れてからも、なかなか止まることができずに斜面を転がり落ちてゆく者もいる。登りは緩やかな登攀路を使ったが、下りは急斜面を一直線に駆け下りるのだから、一度櫓に付いてしまった勢いは人の力ではどうにもならないほどに強かった。
 その結果として、妖婆櫓が、押し手の少年たちを振りほどきながら暴走を始めたのだ。
「なんだなんだお前ら!? 勝手に櫓を離れるな! 戻れって!」
 オレスが叫んだところで、抜ける者は後を絶たない。
「悪いけど俺も抜ける!」
 一番足の速いチャラムが離れたところで、押し手は一人もいなくなった。
「どうするんだよオレス! 押し手がみんないなくなっちゃったじゃないか!」
「お、男がぴーぴーわめくんじゃねえ! どうせいつかは止まるよ!」
 ユータに叫び返したオレスの声も、動揺のためか微かに震えている。
 さらに加速し続ける妖婆櫓が、斜面からわずかに盛り上がった瘤(こぶ)に乗り上げて、大きく跳んだ。
「うっ――うわあああああっ!?」
 絶叫。そして着地。身体が大きく弾み、櫓の上に浮く。三人とも、必死で命綱にしがみつくしかなかった。奇跡的に、櫓は倒れも壊れもせずに済んでいる。今のところは。
「だから……! だから危ないって言ったのにぃぃぃっ!」
 ユータの悲痛な叫び声を引き連れながら、妖婆櫓はひたすら暴走を続けていた。



BACK / NEXT / TOP

inserted by FC2 system