【第二章】黄泉反す祭りの星夜の下に、命の縁は紡がれる
第二十三話 命の羽衣

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『――虚(むな)しき矜持』
 アヤノが呟き、サクラメが動いた。再び咬み合う、刀と大剣。弾かれたのは、大剣だ。だが、決して軽いはずがない。巨岩のような瓦礫を軽々と持ち上げるほどの、無類の怪力を誇る男が振るった一撃なのだ。
 それを、こうもあっさりと弾き返すなんて。
「なぜだ! 俺の剣だぞ!? こんなに……! こんなに軽いはずがねぇ!!」
 怒号とともに振るわれた大剣が、また易々と撃ち払われた。
『何度やっても同じでござるよ』
 愉しげに響くアヤノの声に、ふふふ、と笑みが付け足される。
 アストは、なにもしていなかった。アヤノの意思に導かれるまま、刀を動かしているだけなのだ。まるで他人のもののように動く自分の手足を、驚きを持って眺めていることしかできない。
 ――なにがどうなってるんだ?
『夢幻心刀流の太刀遣い。しかと眼に灼きつけなされ』
 ――夢幻、心刀流……?
 それが、アヤノの遣う剣の流派なのだろうか。
「なんなんだ、こいつは!?」
 オルグの顔色が、目に見えて変わった。先ほどまであれだけ自信に溢れていた黒瞳が、束の間恐怖に歪む。敵は、恐れたのだ。その恐れを振り払うように、大剣が繰り出される。
 突く、打つ、斬る、払う。
 だが、アストはすべて躱わしていた。振り回されるように身体を泳がせながらも、繰り出される斬撃のすべてに空を切らせている。刹那に生み出される無数の刃の光芒は、ただ虚空に消えゆくのみ。
「馬鹿にしやがって! 俺は認めねえ! 認めねえぞ!」
『認めずとも結構。馬鹿につける薬など、拙者も持ち合わせてござらぬ』
「小僧! あの世からなんか連れてきやがったな!? さっきからやかましいのはその靄(もや)か!」
『おぬしほどやかましくはござらぬよ』
 再び、アヤノの意思が刀を操り始めた。
 幾筋もの剣光を、サクラメが断つ。優美にして、変幻自在な太刀捌き。嵐のように襲いかかる斬撃をものともしない。
 これが、彼女の太刀遣いなのだろうか。
 迷いが一つも感じられない、澄んだ操刀だった。澄んでいるが、捉えどころがない。言うなれば、虚(うつろ)にして実(まこと)。実にして虚。だが本質は、やはり実なのだろう。
 剛速の斬撃を翻弄して尚も余裕がある太刀遣いは、まさに入神の域。
 斬光が宙に刻みつけられる度に、刀はこうして遣うものだ、とアヤノに教えられているように感じた。
『――では、そろそろ幕引きに致そうか』
 アヤノが呟いた途端、刃の応酬が熄(や)んだ。
 オルグが後退する。
 本能で危機を感じ取ったか。
 刀≠フ意思に導かれるまま、アストが追う。
 オルグが、さらに後退。
 アヤノはそれを、逃(のが)さない。
 優美な太刀捌きが一転。
 凄烈たる刃の怒涛。
 一閃ごとに闇が割れる。
 オルグは、大剣で受けるのが精一杯のようだ。無限の軌道を描くサクラメの斬撃を前にして、手を出しあぐねているのだろう。美しく力強い太刀遣いは、ますます烈しさを増してゆくばかりだ。
 押している。
 明らかに、こちらが押している。
 冴え渡る、千変万化の操刀。
 オルグの大剣が、奔放とも夢幻ともいえる太刀筋を凌ぎ切れなくなってきた。サクラメの切っ尖が、徐々に魔戦士の身体を捕らえ始めている。
 その頬に、腕に、腹に。
 刃光が奔るたびに、幾つもの血の筋が生まれてゆく。
 圧倒的な光景だった。
 信じがたい光景でもあった。
 アヤノに操られているとはいえ、自分の振るう刀が、戦士様を子供扱いにしているのだ。
 刃を撃ち交わす度に生じる火花が、宙へ舞い散りながら戦場を彩る。
「――! 火花に気をつけて!」
 不意にやってきた叫び声に背を打たれた。異国の少女が、アストに叫んでいるのだ。
「気をつけるって?」
 確かに、アストの周囲には、太刀合いで生まれた火花が無数に漂っている。
 漂っている……?
 どうして、火花が消えずに残っているんだ?
「嬢ちゃんよぉ! 種明かしとは無粋だろうが!」
 オルグの口元に薄い笑みが浮かぶ。
 よくわからないが、とても嫌な予感がした。
「粉々にバラけて吹き飛べやぁぁぁ!」
 オルグが叫び、焔狼の手甲が輝いた。
 周りに拡がる無数の火花が――一斉に膨らんだ。
 夥(おびただ)しい数の火球が、爆光が、アストの視界を埋め尽くす。
 ――し、死ぬ!?
『そう簡単に諦めなさるな!』
 あらゆる方向から襲ってくる爆圧に身体を打たれながらも、アストは爆発の空隙を縫うように後退していた。
 まるで火球の迷路だ。路を間違えれば、即、死に至る。出口と呼べそうな孔(あな)は一つだけだったが、あともう少しでそこまで辿り着けそうだ。
「うあっ!?」
 だが、そこにも爆発。
 ――出口が塞がれた!?
『しからば! 活路は己(おの)がこの手で開くのみ!』
 サクラメが一閃される。
 火球が、二つに分かたれた。そこに、アストが潜り抜けられる程度の隙間が生まれている。
 ――爆発を斬ったのか!?
『眼を閉じて庇いなされ! 多少の我慢は必要でござるぞ!』
「うわぁぁぁっ!?」
 アストは叫び、目を瞑った。あとは、運を天に任せるしかない。瞼の裏が、赤くなって見えた。頬と腕が灼けるような熱さに見舞われたのは、ほんの寸瞬。
 直後には、火照った顔や手足が夜気に冷やされていくのを認識した。
 ――逃げ切った?
 目を開ける。身体のどこかが吹き飛んだりなどは、していないようだった。髪は、少し焦げてしまったかもしれない。祭りのために、湿った外套を着ていたのが幸いしたようだった。
「あいつは、どこにいる?」
『先ほどから動いてござらぬよ』
 アヤノが即答してくれた。あれだけの爆発から逃げ切りながら、敵の位置も把握しているのだから恐れ入る。
 反転したアストの身体が、オルグがいると思しき方角へ向けられた。
「……まぁ、こんなもんで終わっちまったら、興醒めだよな」
 荒れ狂う光と風の向こうに、魔戦士の片影が浮かび上がる。
「これがどれほど光栄なことか理解できるか? 洟垂れ小僧相手に、この俺様がここまで本気出して闘(ヤ)るんだぜ」
 その声とともに放たれた剣気の貫流によって爆光が押し退けられ、大剣を振り上げるオルグの姿が見えてきた。
 長大な漆黒の剣身に、猛々しくも禍々しい朱色(あけいろ)の焔が集束してゆく。
 オルグの全身から湧き出る闘気が、邪悪な力を帯びた魔焔となって、燃焼しているのだ。
 恐らくは、アストが爆発から逃げ回っている間に、必殺を期した一撃を放つための力を蓄えていたのだろう。
『こればかりは、実体を持たぬことには防げぬか』
 アヤノが難渋げに呟いた直後、
「小便漏らして悦(よろこ)びやがれえぇぇぇ!!」
 振り下ろされた漆黒の大剣が、狂気の咆哮をあげた。
 解き放たれた魔焔の波濤が、天地を灼き割る。
 アストの身体を蒸発させるのに半瞬とかからぬであろうほどの熱量が、その一撃には秘められていた。
『アストどのの《命》を貸してくだされ!』
 ――おれの《命》……?
 その意思を受け取ったときには、人型となった霞の塊が前へ飛び出していた。
 ――うっ!?
 突然、目の前が暗くなった。もはや立ってはいられぬほどに、身体中から力が抜けてゆく。膝が、折れる。両手を地について身体を支えるのが、精一杯だ。アヤノが操るのをやめてしまったから、動けなくなったのだろうか。
 朦朧(もうろう)とする視界と意識の中で、アストは見た。
 頭を庇うように左右の腕を交叉したアヤノの透影が、魔焔の斬波に突っ込んでゆく。小さな身体が、あっという間にその中へ呑み込まれようとした、その時。
 天地を裂きながら突き進む斬波の勢いが、止まった。頑丈な堤にでも堰(せ)き止められたかのように、灼熱の飛沫を撒き散らしながらその場に留まっている。魔焔の飛沫が落ちるたびに、地面の焦げる音がした。
 ――食い止めたのか!?
 目を凝らすと、滞留している斬波の中央に、アヤノの姿が見えた。その掌からは、淡い光の束が放出されている。それは、刀の刃文を思わせる形状をした、紋様の束にも見えた。
 無数に紡ぎ出された刃状の紋様が、闇空に浮かぶ極光のように拡がってゆく。紋様が描く、壮麗で、かつ荘厳な光景を目の当たりにして、アストは息を呑んだ。
 それだけではない。
 紋様同士は互いに絡まりあって、仄白く透き通った巨大な紗幕を形成しようとしているのだ。
『アストどの!』
 アヤノの声が、頭に響いてきた。朦朧としていた意識が呼び覚まされたかのように、少しだけ明瞭になる。
「アヤノさん……? いったい、なにをしているんだ……?」
『アストどのの力を借りて、拙者の羽衣に実体を持たせたのでござるよ!』
「羽衣って、さっきの羽衣か……?」
『左様! 此奴(こやつ)は拙者が押し返してみせよう! アストどのは拙者を信じて、ひたすら真っ直ぐに突っ走りなされ!』
「まっすぐ……?」
 アストは、身体を起こしてすぐに駆け出そうとした。だが、やはり身体に力が入らない。膝が、笑っている。
 無理だ。とても動けない。
 こんなに辛いのは嫌だ。
 逃げたい。
 早くここから、逃げ出したい。
 …………。
 どうして――
 どうして、おれは、いつもこうなんだ?
 挫(くじ)けてばかりじゃないか。
 さっきから、挫けるたびにアヤノに励まされて……、今もまた、挫けようとしている。
 ……いつも、逃げてばかりいた。 
 辛いことがあった時は、すぐに逃げ出して、ほとぼりが過ぎるまで隠れていればよいと思って生きていた。
 それが、自分の生き方だったのだ。
 卑怯でも、狡(ずる)くても、目の前の困難をやり過ごせればいい。
 辛いことからは、逃げる≠フが一番賢い解決方法だと思って、これまで生きてきたのだ。
 それなら今も、逃げる≠フが一番賢い解決方法なのか?
 そんなわけ――
 そんなわけ、ない。
 おれを逃がすために戦ってくれたあの子――異国の少女――を、助けたいんじゃなかったのか?
 もう逃げたくない、とアヤノに告げた言葉は、嘘だったのだろうか?
 強くなりたい、と告げたあの言葉は、嘘だったのか……?
 無論、「強くなりたい」と言ったところで、今すぐに強くなれるわけじゃない。
 そんなことはわかってる。
 でも、だからって……。
 今から「強くなろう」としないで、一体いつになったら「強くなれる」んだ?
 ここから逃げ出して……、また惨めで情けない思いをして……。
 もう――
 もうたくさんだ!
 今一時、ほんの少しだけでもいい……!
 強く……!
 強くなるんだ!
 アヤノは、今もおれを信じて戦ってくれている。 
 おれが走り出すことを信じて、漆黒の斬波を食い止めているのだ。
 その信頼を、裏切るわけにはいかない。
 アヤノがおれを信じてくれるのなら、おれは――
 アヤノの言葉を信じて走るまでだ!
 足を、地に突き立てた。
 膝が、震える。
 構いやしない。
 必死に足掻いている自分の姿が、格好悪くてもいい。
 みっともなくたって、構わない。
 おれは、走る……!
 走るぞ……!
 走る!
 走る!
 走る!
 走ってやる!
 気付いたときには、雄叫びを上げて駆け出していた。足が、縺(もつ)れる。靴が地肌を滑りそうになるたびに、何度も体勢を崩した。惨めに、無様に、滑稽に。それでも、走る。走る。走り続ける。
 真っ直ぐ走っている感覚などなかった。よろめきながら、右に左に蛇行を繰り返しているのかもしれない。それでも、目指すものは見失っていなかった。
 光の紋様と、それを放つ者。
 茫漠とした意識の中でも、目にはっきりと灼きついている。
 そこへ向っている、《道》があると思えた。
 あれを目指して走れば、迷うことなどなにもない。
『アストどの! ここが踏ん張り時でござるぞ!』
 アヤノは既に、斬波を押し返し始めていた。
「なんだ!? あの光る垂れ幕は……!?」
 実体化した仄白い羽衣は、当然、オルグの目にも見えているはずだった。
「ふざけるなよ! 幕布(まくぬの)ごときが、俺の刃を押し返すんじゃねえええっ!!」
 オルグがいくら喚いたところで、幕布が刃を押し返す現実は変わらない。
『《刃紋(はもん)》を織り重ねたこの羽衣は、おぬしの鈍(なまくら)では斬れぬよ!』
 アヤノの気迫と羽衣に押し拉(ひし)がれた斬波が、あと一息で裂けるというところまできていた。
 刃が、布を裁(た)つのではない。
 布が、刃を――
 断ったのだ。
「魔焔の刃を退(しりぞ)けやがっただと!?」
『無縁――、でござるな』
 オルグが驚懼(きょうく)を露にし、アヤノが微笑を浮かべる。
 断ち分かたれた焔の刃は軌道を歪め、地表に猛火の溝を刻みながら奥に見える高台の側腹に激突した。
「こんなことは、ありえねえ!」
『有り得ると申した!』
 前方に躍り出たアヤノが腕を払うと、鞭のようにしなった羽衣がオルグの胴を強(したた)かに打ち据えた。
「ぐおっ――!?」
 魔戦士の身体が地表を滑るように弾き飛ばされる。羽衣の一撃には、見た目から想像できないほどの衝撃と威力が秘められていたようだ。
「今なんか視えやがったぞ!? 子供の影か!?」
『おぬしのような輩はなんべんでも打ち据えてやりたいところでござるが、これ以上アストどのに無理を強いるわけにはいかぬ!』
 跳躍して身を翻したアヤノが、再びアストの腕に取り付いた。羽衣は、彼女の身の丈に合った大きさに戻っている。
『よくぞ持ちこたえなさったな、アストどの!』
「ああ!」
 身体にかかる負荷が減ったらしく、手足がずいぶん軽く感じるようになった。
 オルグは、まだ膝を折った体勢のままだ。
「この俺が、敗れるのか!? こんな小僧に!?」
 戦士様が、怯えている。
 目前に迫ったアストの姿に、怯えているのだ。
『たかが洟垂れ小僧と侮った時点で、おぬしは既に敗れていたのでござるよ!』
 アヤノが叫び、アストが刀を水平に構えた。
 呑み込まれた人びとの命が二度と還ってこないというのなら――
 この男は、斬る。
「畜生が! まだ殺(と)られるわけにはいかねえ!」
 オルグが焔の手甲で地面を殴りつけた。大地を割って現れた火柱が彼の姿を包み込む。
「うわっ!?」
『ちいっ』
 アヤノが止(とど)めを諦めたのか、アストの身体は後退していた。無論、そのまま突っ込んでいたらアストが丸焼けになっていただろう。
 地中から噴き出した火柱はすぐに収まったものの、オルグの姿は忽然と消えていた。
「消えた!?」
『ふむ……。恐らくは、火遁(かとん)のようなものでござるな』
「それって、なに?」
 カトン、という言葉の意味を、アストは知らなかった。
『火で身を隠している間に、逃げたのでござるよ』
「じゃあ、また襲ってくるのか?」
『ふむ。あやつとの縁は切れておらぬようでござる。いずれ再び見(まみ)えることもござろう』
「そっか……」
 刀を鞘へ納めたアストの口から、安堵とも落胆ともつかぬため息が零れた。また、あんな恐ろしい力を持った戦士と太刀を合わせなければならないのかと考えると、今から気が滅入りそうになる。
「またあいつが来ても、アヤノさんがいれば大丈夫だよな?」
『さぁ。拙者がいたところで、次もうまくゆくとは限らぬよ』
 霞に変化していた身体を集束させ、元の姿へ戻ったアヤノが地に降り立つ。
「どうしてさ?」
『それよりも、アストどの』
「ん?」
 アヤノが意味ありげに目配せをしてきたので、アストは背後を振り返った。
「あ――!?」
 変な声を漏らしてしまったが、慌てて姿勢を正す。
 白衣(びゃくえ)に身を包んだ異国の少女が、不安げな面持ちでこちらを見つめていた。



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