【第四章】昏き影、嗤う魔女、集う光
第三十七話 英雄の戦い

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 行き倒れて死ぬことだけは許せない。
 それが、男の意地だった。
 だが、このままでは餓えて死ぬことになるのだろう。
 一週間ほど前に立ち寄った村で食料を分けてもらったのだが、その村を発ってから二日目に怪物の群れに襲われ、荷物を丸ごと焼かれてしまったのだ。
 怪物どもはすべて切り伏せたものの、彼らの肉は人の食用になり得るものではなかった。試しに焼いて食ってみたのだが、腹を下して酷い目に遭ったのである。
 今は、腹の具合もだいぶ落ち着いている。しかし、怪物の肉で食あたりを起こしてからは、道端で偶然見つけた泉の水を飲んだだけで、他にはなにも口にしていない。
 しかもついていないことに、旅程のほとんどは、草木が一つも見当たらない荒野の只中を延々と歩かなければならなかった。
 荷物を失った時点で、一度あの村に戻った方がよかったのだろう。しかし、目的地には三日も歩けば着く予定だった。既にその半分を歩いてしまったのならば、進むのも戻るのも、さして変わらぬはずだ。問題なのは、それから三日以上歩き続けても、この荒野から抜け出せないことだけだった。
 次第に意識が朦朧とするようになっていたが、歩く。歩き続ける。
 餓えて死ぬのが先か。
 渇いて死ぬのが先か。
 答えが出たときには自分が死んでいるので、確かめようがない。
 いや、この俺が、そんな詰まらん死に方をするはずがないのだ。
 頭の中ではくだらぬことしか考えられぬようになっていたが、しばらくすると、それすらも考えられなくなった。
 昼に歩き、夜は眠る。いや、夜も歩いていたかもしれない。夜に歩いて、昼に寝ていたこともあったような気がする。昼か、夜か。いや、夜が、昼なのだ。今が昼なのか、夜なのかも、わからなくなっていた。目の前は常に眩しく、暗い。起きていようが、眠っていようが、それは、同じだ。
 そんな状態になってから、どれくらい歩き続けてきただろうか。
 村が、見えてきた。
 村だ。きっと、村だろう。
 自分の頭がおかしくなって幻を見ているのでなければ、あれは、村だ。
 しかし、荒野を歩き続けてようやく辿り着いた村は――
 怪物どもに、襲われていた。
 空の上は異形の者たちによって埋め尽くされ、地上のあちこちで爆発が起こっている。
 村を襲っている怪物は、自分の荷物を焼き払ってくれた怪物どもと、同じ姿をしていた。この一週間で、三度も連中の顔を見ることになるとは奇妙な縁だ。最初に彼らと遭遇したのは、一週間前に滞在していた村にいたときのことだった。蝙蝠(こうもり)のような翼を生やした奇怪な怪物どもを自分が追い払ってやったので、そのお礼として食料を分けてもらえたのである。二度目に遭遇したときは荷物を焼かれた。そして、今である。
 これが奇縁ではなく不運であるなら、俺はよくよく運のない男らしい。
 そもそも、宿屋の親父が悪いのだ。
 ガルガドという街にある宿屋に泊まったときに、そこの親父から、あと三日歩けばアウデアの城に着くと聞いたのである。にもかかわらず、ひと月近く歩き続けても、現れるのは村ばかりではないか。
 用があるのは、城なのだ。城は、どうした。
 まさかあの親父は、三日ではなく、三ヶ月と言ったのだろうか?
 いや、そんなはずはない。この耳で、確かに、三日と聞いた。
 それともこれが、試練というやつだろうか。
 古来より英雄たる男には、神が意地の悪い数々の試練を与えるものらしい。……神め。
 まあいい。
 つまりそれは、神がこの俺を英雄として認めているということの明らかな証左。この俺が英雄であることは、厳然たる事実。
 やはり俺は、英雄なのだ。

 俺は、英雄。

 手足は全く力の入らない状態であったが、英雄たるものが怪物を前にして戦えぬなどと弱音を吐くことは許されない。
 父祖より受け継がれたこの白銀(しろがね)の剣が――、盾が――、鎧が――
 俺に倒れることを許さない。
 英雄に、死ぬことは許されんのだ。
 怪物どもに抗う術(すべ)も力もない憐れな人びとが、救いの手を求めている。
 必要なのだ。英雄の力が。
 ならば、応えてやろう。

 この剣に誓って。

 胸裡に呟いたところで、前方から若い女が駆けてくるのが見えた。
 怪物に、追われているようだ。
「助けてください!」
 案の定、女が助けを求めてきた。
「そのつもりだ」
 女を後ろに庇う。盾の上に突き出ている柄≠握った。渾身の力を込めて抜き放つ。白銀の刃が露になった。この盾は、中央部が剣を納められる構造になっているのだ。
 地表すれすれを飛ぶ怪物は、標的をこちらに変更したようだった。
 実に愚かな連中だ。
 どいつもこいつも、彼我の力量さをわからずに飛び込んでくる。
 そんなに仲間の後を追いたいのか。
 ならば、いいだろう――
 地を蹴り、跳んだ。
 白銀の剣光が、怪物の肩から腰へ抜ける。
 そして、着地した。剣を盾に納める。
 ややあってから、両断された怪物の身体が地に落ちた。
「あの世で仲間たちと絶望しながら、この俺の強さについて大いに語り合うがいい」
 振り返ると、先ほどの女が怯(おび)えた様子でこちらを見つめていた。
「安心しろ。この俺が来たからには、あの化け物たちに明日(あす)はない」
「あ、危ないところを助けていただいて、ありがとうございました……」
 女が感謝の言葉を口にしたので、うむ、と肯いた。上空へ視線を転じると、夥(おびただ)しい数の怪物たちが、奇声を発しながら村の破壊活動に勤(いそ)しんでいる姿が見受けられる。
「一週間ほど前から、あのような怪物たちが各地に現れて暴れているようだ。この俺にかかれば雑魚同然とはいえ、並の人間であれば為す術もなくあの世へ送られてしまうだろうな。やつらは俺が片付けるので、女子供は早く逃げた方がいい」
 しかし、空を飛ぶとは卑怯なやつらだ。地上に降りてくれば雑魚に違いないが、空の上となると剣が届かない。
「一週間前の界瘴といい、この怪物たちといい、この国ではなにか恐ろしい異変が起こりつつあるようだな」
 異変の正体がなにかはわからないが、その謎を解き明かすのも、自分に与えられた試練という気がする。
「これは、時代が求めているということか」
 そうなのだろう、と思う。
「時代が、英雄の出現を望んでいるのだろう。かつての偉大な英雄、ウィル・グレンのような不屈の魂を持った男が、再び必要な時代が訪れたのだ。――そうは思わないか?」
 視線を、上空から地上へと戻す。
「…………」
 そこに、女はいなかった。
 とうに逃げ去ったか。
「お礼になにか寄越せと言うつもりはなかったが、水を一杯くらいは飲ませてほしかったものだな」
 まあいい。
 女など、所詮はこんなものだ。
「この辺りに、井戸はないのか」
 右手に見える民家の陰に、それらしきものが見えた。あるではないか。
 井戸端(いどばた)へ寄って中を覗いてみると、綱でつながれた桶が下に沈めてあった。綱を掴み、桶を引き上げる。
 水だ。ようやく、水が飲める。
「待っていろ、化け物どもめ。この水を飲んだら、すぐに全員やっつけてやる――うおっ!?」
 突然、何者かに背中を蹴りつけられた。
「ぐうおおおおっ!?」
 井戸の中に落ちた。水面に甲冑が叩きつけられた音が井戸内に反響する。井戸の外から、怪物が嘲笑っているような啼(な)き声が聞こえた。……やつらめ、小ざかしい真似を。
 興に入っているところ悪いが、俺の鍛え上げられた鋼の肉体は、井戸に落ちた程度で死ねるほど柔(やわ)にはできていない。
 頭を打ったので、若干気分は悪いが。
 やつらのおかげで桶からまともに水を飲むことはできなかったが、もういい。十分に飲んだ。だが、水を飲んでも空腹だけはごまかすことができない。胃に、穴が空きそうだ。
 それなりに大きな井戸だったので、体勢を楽に立て直すことはできた。
 井戸の底から、天を見上げる。
 これも、谷底から這い上がれ、という、神が与えた試練なのか。……神め。
 桶を吊るしていた綱が丈夫であることを確認した男は、試練を見事乗り越え、怪物たちへの復讐を遂げるべく、井戸を登り始めた。

       †

 異霊と呼ばれる者たちを目にしたのは、これが初めてだった。
「あれが、《ゼヴェスの祇徒(しと)》なの?」
 エリウスは、後ろの方で《引越し》の準備をしているマリーシアに尋ねてみた。
「そうよ」
 彼女の返事は、素っ気無いものだった。あまり興味がないのだろうか。
「なんか、すごくたくさんいるんだけど」
「《ジャミス》って、一番下っ端の《祇徒》なんだから、そういうもんでしょ」
「ふうん」
 異霊には幾つかの階級があって、いまエリウスたちの頭上を飛んでいるのは、その中でも最下級の者たちだ。
 一般に、《ラルスの神遣い》と呼ばれる天霊たちは姿が美しい存在であると信じられており、《ゼヴェスの祇徒》として彼らと敵対する異霊たちは、醜くて恐ろしい容貌をしているものだと考えられていた。
 神遣いを見たことがないのでその定説が正しいのかはわからないが、蜥蜴(とかげ)が羽根を生やしたようなものが、甲高い声で啼き叫びながら空を飛び回っている光景を眺めていると、きっとそうなんだろうな、という気がしてくる。
 異霊が地上に姿を見せるようになったということは、天霊たちもどこかに現れたりしているのだろうか。だとしたら、仲の悪い神様同士がまた戦争を始めようとしているのかもしれない。
 この世界には、人類などの生物が生まれる前から覇権を争い続けている二人の神様が存在する。
 天上の世界を治めるラルスが天の神であるとされるのに対し、地下の世界を治めるゼヴェスは地の神であるとされていた。地の神、即ち、地祇(ちぎ)である。よって、その地祇に付き従う異霊たちは《祇徒》とも呼ばれているのだ。
「まだ終わらないの?」
 振り返ると、三角帽子を脱いだマリーシアがそれを空高く投げ上げて、《家》の屋根へ被せるところが見えた。
「もうすぐ終わるから、あんたの《犬》も馬にしておきなさいよ」
「ジェドが馬になるのは一瞬だから、まだいいでしょ」
 ジェドは、相変わらず襟巻きのように首へ巻きついている。全身真っ黒な上に目つきが怖いとマリーシアには言われるが、こう見えてもジェドは甘えん坊なのだ。
「屁理屈はいいから早くしなさい!」
 そのやり取りをする間にも、帽子の表面に浮き上がった咒紋が発光し、徐々に大きくなってゆく。
 やがて、帽子がすっぽりと《家》を包み込んだ。すると今度は、帽子がみるみる縮み始めて元の大きさに戻っていった。
《家》があったはずのところに、ぽつん、と残った帽子を拾い上げたマリーシアが、軽く土を払ってから頭に被り直す。
 これで、《引越し》の準備は完了だ。
 あとはジェドを馬に変形させれば、すぐにでもこの村を離れることはできるのだが……。
「どうしたの? 早く犬を馬にしなさいよ」
「うん……」
 エリウスは肯きを返したものの、なかなかその気になれなかった。
「もうっ! あんたって、いっつも行動が遅くてイライラするのよね! こんなところでぐずぐずしてたらそこらじゅうが化け物で溢れかえって、どこにも逃げられなくなっちゃうじゃないの!」
 マリーシアが、怖い顔をしてこちらを睨んでいる。
「それはわかってるんだけど」
「わかってるんなら早くして!」
「でも、本当に、いいのかな?」
「なにが?」
「僕たち、このまま逃げても、いいのかな……」
 エリウスは、村の破壊を続けている異霊たちを気にするように空を見上げた。
「なにバカなことを言ってるの? まさかあんた、あいつらと戦うなんて言い出すつもりじゃないでしょうね」
「僕たちは逃げようと思えば逃げられるけど、村の人たちはそうはいかないんだよ? このままじゃ、異霊に襲われてみんな殺されちゃうよ」
「それは大変恐ろしいことね。だからって、あたしたちがこの村のために命を懸けて戦う義務はないんじゃない?」
「一週間もここでお世話になったじゃないか」
「ちょっと空き地を借りただけよ。他には、足りなくなってたものを買出しに行ったりしたけど、ちゃんとお金は払ったんだから、それでいいでしょ」
 基本的に損得勘定で物事を考えるマリーシアを説得するのは、難しいことだった。
「買い物のときに、野菜を少しおまけしてもらったでしょ?」
「そうだけど、『別嬪(べっぴん)さんだからおまけしてあげるよ』って、向こうから言ってきたのよ。あのおじさんには、あたしが別嬪さんに見えてしまったんだから、仕方ないんじゃない?」
「仕方ないって言い方は、おかしいと思うんだけど」
 後でこんなことを言っていたと知れたら、店のおじさんもがっかりするだろう。
 しかもエリウスが憶えている限り、あのおじさんは女性の客が来るたびに「別嬪さん」と声をかけていたはずだ。
 お世辞を真に受けてまんざらでもなさそうにしていたマリーシアは、単純というか、ある意味では幸せな人なのだろう。
「村の人たちがかわいそうだとは思わないの?」
「そりゃあ化け物に殺されるなんてかわいそうよ。でも、あたしたちが化け物と戦って殺されるのは、かわいそうじゃないの? それにほら、遺跡で変な光を浴びたせいで、咒紋の調子が悪いし」
「さっきは治ったって言ってたじゃないか」
「うーん、それがどうも、治ってなかったような感じがするのよねぇ」
「あぁ、そう」
 きっと、嘘だろう。
「そうやって、村が滅ぼされるのを見捨てて逃げるのを繰り返してたら、そのうち町や村がみんな無くなっちゃって、僕たちが生きていくのに困ると思うんだけど」
「それは大袈裟だけど一理あるわね……。でも、きっとだいじょうぶよ」
「なにがだいじょうぶなのさ?」
「遺跡であたしたちを助けてくれた変な人たちがいたでしょ? この村はあの人たちがなんとかするだろうから、あたしたちがいなくてもだいじょうぶ」
 マリーシアはそのように言うが、あの人たちも彼女と同じような考え方をしていたら、誰も村を守るために戦わない可能性があるんじゃないかと思えた。誰だって、好きで自らの命を危険に曝すような真似はしたくないのだ。
「わかった。もういい」
 エリウスは、ジェドに「行くよ」と囁きかけた。愛犬は、主(あるじ)の意を察して左腕の方に下りてきてくれた。螺旋を描くように腕へ巻き付いたジェドが、黒い革手袋へと姿を変える。
「僕一人で戦う。マリーシアは、逃げるなり隠れるなり好きにして」
「あんた、本気で言ってるの?」
「そうだよ!」
 少し棘のある声で答えると、右手の人差し指と中指を二つ立てて、滑らかな指捌(ゆびさば)きで宙に魔力の線を引いた。そこに描かれた直線と曲線が形作るのは、犬の頭部を抽象化したような咒紋の像だ。そして、描き出された像に左手を合わせ――
「《着装(フォルゼ)》」
 発動の文言を唱えた。
 烈しい光を発した咒紋の像が、烙印のように掌へ灼き付く。同時に、そこから滲み出した影が衣服と融合するように全身へ拡がった。その影は、影でありながらそれ自体が仄かな光を放出している。《着装》に使われた魔力のごく一部が、霊光となって体外に漏出(ろうしゅつ)しているのだ。
 やがてエリウスの全身を呑み込んで人型となった影が、徐々に鎧のような輪郭を形成していった。頭部にも鉄仮面に似た外殻が顕れ、二つある眼孔からは刃のような輝きが放たれている。頂門の両端に浮き上がっている小さな突起は、犬の耳に見えなくもない。
 そして、全身を覆う影の発光が収まったとき――
 純黒の装甲を纏った異形の戦士が、そこにいた。
《魔装の黒影》
 それが、彼と奇妙な愛犬の身に宿った力≠フ姿だった。
「よし! 行くぞジェド!」
 自らと、全身装甲と化した愛犬へ気合を入れるように声をかけたエリウスは、三体の《ジャミス》が村内へ降下してくるのを認めて、駆け出した。
「ちょっと!? 待ちなさいよ!」
 マリーシアが制止の声をかけてきたが、もはや立ち止まることはできない。
 異霊たちが向う先には、小さな女の子がいるのだ。女の子は、恐ろしい姿をした化け物の群れを見上げたまま、怯えたように立ち竦んでいた。
 ジェドと一体化したエリウスは風を裂くように疾駆していたが、女の子までの距離は、異霊たちの方が遥かに近い。だが、間に合わせる方法はあった。
「頼むジェド!」
 叫びながら左腕を突き出す。すると、腕が伸張して、手の形状がジェドの頭部へと変わった。鋭い牙を剥き出しにしたジェドが、先頭の異霊目がけて直進する。女の子が襲われる前に、ジャミスの喉元に喰らいついた。
「弱いものいじめなんて、最低じゃないか!」
 腕を振り回してジャミスの身体を地面に叩きつける。だが、後続の異霊たちが女の子へ定めた狙いを変える気配はない。頭に血が上った。ジェドを呼び戻し、二体目の敵へ目がけて放つ。
「ジェド! そんなやつらなんか、食べて≠烽「いよ!」
 主の命令を受けたジェドが、二メトレ(二メートル)は優に超えるほどの巨大な口を開けて、ジャミスを丸呑みにする。
「でも、こんなやつらじゃ消化が悪いかもしれないけどね」
 案の定、ジェドが消化に手間取っている間に、三体目のジャミスがこちらに襲いかかってきた。その口から、異常に高い周波数をもった音波が放たれる。
「ちょっとうるさいけど……、そういうのは平気!」
 全身の装甲が音波を受け流すように働き、内部のエリウスを護っていた。
「お前にはこいつをやるよ!」
 右手を払った。ジャミスの首が飛んでゆく。
 巨大な鎌が、エリウスの手に握られていた。手の内から瞬時に得物を呼び出したのだ。
 地面に叩きつけた最初のジャミスが起き上がってくるのが見えたので、鎌を投げ放った。回転する刃がジャミスの胴を両断し、今度こそ標的を絶命させる。
 大きな弧を描くように飛んで戻ってきた鎌を受け取り、ふう、とため息をついた。
「危ないところだった……」
 女の子の方へ振り返る。
「怪我はしてない? こわい化け物は全部やっつけたから、もうだいじょうぶだよ」
 優しく声をかけたつもりなのだが、
「わあああああん!」
 女の子は泣きながら走り去ってしまった。
「あ!? 待って! 僕は化け物じゃないんだ! あ、いや、今はどう見ても化け物か……」
 これじゃ、何日か前に子供を泣かせたマリーシアのことを笑えないな、と思う。
「――なんだ!?」
 突然、背後で爆発が起こったので振り返った。
「うわ!?」
 すぐ目の前に、黒焦げになったジャミスが立ち尽くしていた。
「まったく、本当に世話が焼けるんだから」
 向こうから、紫紺のケープをはためかせながら、ゆっくりと歩いてくるマリーシアの姿が見えた。
「ごめん」
「まぁいいわ。女の子に格好いいところを見せつけて、少しは満足できたかしら?」
「そういうんじゃないよ。怖がらせるつもりはなかったんだけど」
「しょうがないんじゃない。その姿じゃ、いくら頑張ったって英雄にはなれないのよ?」
「別に英雄になりたいんじゃないよ。村の人たちが酷い目に遭うのはたまらないから、なんとかしなきゃって思っただけなのに……。僕の考え方はおかしいの?」
「いいえ、おかしくないわ。でもあんたは、ちょっとだけお人よしがすぎるのよ」
 紫色の瞳が呆れたようにこちらを見つめている。でも、怒っているわけではなさそうだった。普段はきつめに視線を尖らせているマリーシアだったが、たまにすごく優しそうな眼をするときがある。
「僕はこれくらい普通だと思うけど。それより、早く村から逃げるんじゃなかったの?」
「あんたが犬を戦いに使ってるから、どこにも逃げられなくて困ってるんじゃない」
「たまには自分の足で走りなよ」
「あんたねぇ、楽ができない魔女に意味はないでしょう?」
 マリーシアが語る魔女の定義は、よくわからない。
「じゃあ、どうしろって言うのさ」
「犬をあたしに貸してくれるんだったら、好きなだけ戦ってきてもいいわよ?」
「そんなの駄目だよ! ジェド、行こう!」
 呼びかけると、背中から黒い翼が生えて鋭く羽搏(はばた)き始めた。身体が、少しずつ空に向って上昇してゆく。
「あれ? いつから羽根を生やせるようになったんだ?」
 呟いたエリウスへ、ジェドの意思が答えを告げる。 
「そうか! ジャミスの翼を取り込んだんだ!」
 足下に見えるマリーシアの姿が、どんどん小さくなってゆく。
 まだ日没には早い時間帯のはずなのに、周囲はずいぶん暗くなっていた。化け物たちが空を埋め尽くしているだけではなく、いつの間にか出ていた暗雲が太陽をすっかり隠してしまっていたのだ。
「遺跡に向ってるやつらがいる?」
 空を飛ぶことで、異霊たちの動きが見えるようになってきた。彼らは、村の破壊に専念する者たちと、村はずれにある遺跡へ向う者たちとの二手に分かれているようだ。
「待ちなさいエリウス! あたしから逃げようったって、そうはいかないわよ!」
 マリーシアが、咒紋で編んだ翅(はね)を広げて後を追いかけてくる。紫や緑や、様々な色を織り込んだその翅は艶(あで)やかに煌いていて、まるで――
「毒蛾みたいなのがきたよ」
「蝶と言いなさいよ! 美しい胡蝶(こちょう)が空を舞っているように見えるでしょ?」
「ええー?」
「見えないの!? 見えないなんて言うなら、あんたたちをまとめて焼き鳥にしてあげるから!」
「じゃあ、見えるよ」
「『じゃあ』っていうの、要らないわ! 焼き鳥決定ね!」
 焼き鳥って言われても、ジェドは犬だし、僕は人なんだけどな、と思ったが、あえて口には出さなかった。
「だいたい、自分で空を飛べるなら、それで逃げればよかったじゃないか」
「馬鹿言わないでよ! 空は今、化け物たちでいっぱいでしょ!」
 空の上で口喧嘩を続ける二人に向って、ジャミスの集団が近づいてきた。
「このままだとマリーシアも戦うことになるけど、いいの?」
「仕方ないでしょう! あんた一人じゃ無理に決まってるんだから、心優しいあたしが手伝ってあげるの。――その代わり! あんたが化け物の攻撃を全部受け止めて、あたしの盾になりなさいよ!」
「あ、そう」
 後ろ半分の言葉を聞くまでは感謝するつもりがあったが、やめた。しかし、なんだかんだ言っても一緒に戦ってくれるマリーシアには、やはり感謝しなければならないだろう。一人よりも、二人で当たる方がだいぶ余裕を持って戦うことができるはずだ。
 ジャミスの集団は、もう二人の目の前まで来ていた。



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