双閃の軌跡

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第一章 双閃、相見える刻 (6)



 現れた女はセフィナの手前、二、三歩のところで立ち止まると、這いつくばるような体勢で自分を見上げている皇女に向かって微笑を作って見せた。
 その笑みから冷たい印象を受けるのは、女が雪のように白い髪や肌の色をしているせいだけではないだろう。
 女の姿を認めた途端、怖気(おぞけ)が背筋を這い上がってきてセフィナの肩を震わせていたが、彼女にはそれがなぜだか分からなかった。
 それだけでなく、女の出現と同じくして周囲の気温が急激に下がったようにも感じていた。
 外壁や天井に穿たれた大穴からよく冷えた夜気が入り込んでいるせいなのだが、今のセフィナにはそこまでを推察する余裕は無い。
 ただ、この冷たい空気はこの女が運んできたものだと思えてならなかった。
 それは論理的な思考ではないのだが、彼女にとっては限りなく真実に近い想像だ。
 女は猜疑に満ちたセフィナの視線など全く意に介さないようで、口元の微笑を解くと、声をかけてきた。
「ずいぶん騒がしいと思ったら、やっぱり人がいたのね」
「…………」
 セフィナは金縛りにでもかかったかのように身動きができなかったが、女は相手からの反応が無いことなど構わずに言葉を継いでいた。
「何人か焼いちゃったみたいだけど、まぁ、運が悪かったと思ってあきらめて頂戴ね」
「……さっきの光は、あなたが起こしたの?」
「そう。急いでたから仕方なかったのよ」
 女が悪びれもせず、しれっとした調子でそんな言葉を吐いたのが、セフィナの感情を刺激した。
「人の生命を奪っておいて、そんな言い方……!」
 セフィナは張り上げるような声を出して女を怒鳴りつけたかったが、先ほど強く打った身体の痛みを思い出し、声が詰まってしまった。
 激痛に呻いたセフィナだが、目の前の女が自分を見下ろして冷笑を浮かべているのが分かって、悔しかった。
 馬鹿にされているのだ。
 この人は、兄を殺したのは自分だと言った。
 それが本当だとするならこの人は兄の仇であるはずなのだが、その仇を目の前にして、セフィナは自分がどう動くべきか、分からなくなっていた。
 激しい恐怖と怒りが渦巻いては彼女の心身を呪縛し、正常な思考力や行動力を奪っていたのだ。
 あふれ出してくるとめどない感情の激流が、彼女が心の内で処理できる許容量の限界を超えていた。
「どうして、こんな酷いことをしたの……?」
「酷い?」
「人を殺しておいて、何も感じないと言うの?」
「ああ、そうね。でも、まだそんなに殺してないし、たとえ沢山殺したとしても、どうせ人は放って置けばまた増えるでしょ?」
「ふざけないで!」
 興奮して大声を出すと胸や背中やお腹が軋むように痛んだ。
 だが、こんな言葉を平気で吐ける人間がいるというのがセフィナには信じられなかったし、認めたくなかった。
 こんな人間に兄が殺されたなどと、認めるわけにはいかなかったのだ。
 しかし、セフィナがどれだけ声を上げたところで、この薄情な女がその怒りをまともに受け止める様子は無い。
「あら、何かしら? これ」
 ふと、女は足下にあった何かに目を止め、それを拾い上げた。
「!? 触らないで!」
「綺麗な腕輪ね。こんな風になってしまってはお洒落も楽しめないんだし、私が貰ってあげちゃおうかしら」
 女は銀の腕輪だけを抜き取ると、掴んでいた人の腕らしきものを、もう用済みとばかりに無造作に投げ捨てた。
「なんてことを……!」
 セフィナに生まれて初めて、本物の殺意が芽生えた瞬間だった。
 この女は、人の生命を奪ったことに対する罪の意識など皆無で、さらには死者を冒涜するような真似をする。
 許せるわけが無かった。
「貴女、その恰好からするとこの国のお姫様? だったら教えてもらいたいんだけど、『封神の離宮』っていうのはどこにあるの?」
「封神(ほうじん)……?」
 城内でもあまり使わない呼び名だったが、ヴェルハイムにある離宮といえば一つしかない。
 離宮には、ヴェルトリア帝国が様々な国や民族を征服した際に、彼らから奪ってきた財宝の数々が納められている。
 その地で祀られてきた神々を象った黄金の像や、祭事に用いられる神具が多いことから、離宮をそう呼ぶこともあるのは知っていた。
 ヴェルトリアは支配下に置いた民族が信仰していた土着の宗教を、邪神を崇める邪教として禁じて数多の神々を廃してきたのだから、確かに、今は存在を否定された神々の像や神具が日の目を見ることもなく眠り続けている離宮は、神を封じた宮殿だといえる。
「そこに用があるんだけど、このお城、無駄に広くて」
 女は周囲をぐるっと見回すような仕種を見せると、一つだけ溜め息をついた。
「あなたのような人を案内するわけにはいきません……!」
 冗談じゃない、と思う。
 今まさに、セフィナたちが逃げ込もうとしていたのが、その離宮なのだ。
「あら、そう。だったら自分で探すわ。その分余計に死ぬ人が出るでしょうけど、貴女が非協力的なんだから、仕方ないわよね?」
「…………」
 セフィナは返すべき言葉が見つからなかった。
 自分が言うことを聞く聞かないに関わらず、この女に大人しく引き返す気は無いのだ。
 抗弁するだけ無駄というものだった。
「……離宮に、何の用があるというの?」
「決まってるでしょ」
 視線を窓の外に移していた女は、火影の踊る外庭を見下ろしながら言葉を返した。
「神を解き放ちに行くのよ」
 女は無表情だったが、外庭の朱い揺らめきを映したその瞳には、どこか愉悦の色が浮かんでいるようだった。
「神を……?」
 その言葉が何を意味するものなのか、セフィナには想像つきかねた。
「そう。案内してくれる? 貴女がいた方がこの城の人間から無駄な抵抗されなくて済むでしょ」
 振り返った女は、膝を畳んで床の上に座り込んだままだったセフィナに手を差し伸ばすと、彼女の手を取った。
「!?」
 その手は、氷の塊と間違えられるくらいに、冷たかった。
「いや……!」
 足が上手く動かせなかったセフィナは身をよじって逃れようとした。
 だが、思っていたより女の力は強く、少々暴れたくらいでは掴まれた手をほどくことはできそうにない。
「離して!」
 セフィナはお尻の方に全ての体重を乗っけるつもりで抵抗したが、女は涼しげな表情のまま、セフィナの身体を強引に引き起こそうとしていた。
 女が、セフィナとさして変わらない小柄な身であることを考えると、その力の強さは異常だった。
「誰か!」
 絶望的な気分に浸されながらもセフィナは必死で声を上げていた。
 結局、非力な自分は誰かに助けを求めることしか、できないのだ。
「誰かいないの!?」
 彼女は叫びながらも、きっと、助けは来ない、と思っていた。
 本来なら、先ほどの爆発があった時点で誰かが駆けつけてなければならないのだ。
 それが今になっても何の反応も無いということは、自分の目にしていること以外にも、何かがこの城に起きている。
 そうとしか考えられなかった。
「叫んでも無駄よ。勇敢な騎士さんたちのお相手はちゃんと用意しているもの。たぶん、今頃は……」
 そこで女の言葉が、途切れた。
「っ!?」
「…………?」
 不意に女の手から力が消え、その隙に女から離れることができたセフィナだが、手が離れた際についた勢いそのままに回廊の上に倒れこんでいた。
 女の身に、何が起きたのかはわからない。
「うぅ……っ!?」
 突然、苦しみ始めたのだ。
「……!」
 女を見上げたセフィナは、ようやくその理由に気付いた。
 矢だ。
 一本の矢が、女の喉もとを、貫いていた。
「く……、うっ!」
 ズッ、ズズ……!
 女は苦痛に顔を歪めながらも、自らに突き刺さった矢を無理やり引き抜いていた。
 即死してくれる気などさらさら無いらしい。
 矢尻の先からは女の流した血が滴り落ちていたが、その血は鮮やかに紅く輝いていたものの、水飴のようにどろりとしていて、とても人間のものとは思えなかった。
 その光景を半ば呆然と眺めていたセフィナだが、ようやく我に帰ると、身を起こして女の傍から逃げ出そうとした。
 だが、彼女が行動を起こす前に背後から声が上がる。
「伏せてください!」
「!?」
 その声に押さえつけられたように身を縮こませたセフィナの頭の上を、風を切って奔(はし)るものがあった。
 チィッ!
 女は、再び襲ってきた矢を手にした何かで弾いて凌いだが、間髪置かずに放たれていた第三の矢は防ごうとせずに、猫のような身のこなしで射線上から退避していた。
 女がいつの間にか杖のようなものを持っていたことにセフィナが気付いたのは、その一秒足らずの間に行われた攻防が終わってからのことであった。
「セフィナ様……!」
 矢を放った何者かは、セフィナが身じろぎ一つしない内に素早く駆け寄ると、彼女の身体を抱き起こしていた。
「……! ルシェル!」
 セフィナは、思わず溢れ出してきた涙を止める術を知らなかった。
「……御身の一大事にありながらお傍に添うことができず、申し訳ございませんでした」
 遅参を詫びたルシェルだが、その目を前方の女から離すことはない。
 涙に嗚咽が入り混じって声にならなかったセフィナは、首を左右に振ってその言葉に答えるのが精一杯だった。
「ふうん……、主従の感動の再会ってとこかしら?」
 冷ややかな視線で二人を見据えていた女が口を開く。
「…………」
 ルシェルはセフィナを庇うようにして前に出ると、矢の尽きた弓を捨て、腰にした佩剣に静かに手をかけていた。
「少しはできる子のようね? フフ……、どれくらい楽しませてもらえるかしら?」
 女は口唇の端に滲んだ血を拭うと不敵に微笑んだ。
 喋れるということは、喉の傷はもう塞がっているのだろう。
 有り得ないことだが、何らかの魔術的な力を扱える敵なら、それは有り得ると考えるしかなかった。
 城を襲った爆発も、この女が引き起こしたものに違いないはずだ。
 ルシェルは女が魔術を使う瞬間を見ていなかったが、その直観的な判断は間違いではない。
 音も無く引き抜かれたルシェルの直剣が中段に据えられた。
 その剣先は、女の身体の中心を捉えている。
 女の微笑は、まだ、消えなかった。



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