双閃の軌跡

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第一章 双閃、相見える刻 (7)



 ……敵の姿が、見えない。
 ルシェルの受けた印象を一言にすれば、そのように表現できた。
 城内の武術稽古であれば力も手の内も見知った人間との立合いであるから、相手がどのように動いて何を仕掛けてくるのかをある程度予測することもできる。
 だが、今、自分と対峙しているのは、そういった情報をまるで持たない相手なのだ。
 さらには得体の知れない魔術か妖術のようなものまで操る可能性がある。
 並の人間であれば、先ほどの矢の一撃が喉を貫いた時点で絶命していなければおかしいのだ。
 それが生きているという。
 人間でなければ化け物である。
 この女の正体はどうであれ、ルシェルが今までに立ち合ったことのある相手からはかけ離れた、全く別種の敵であることは間違いない。
 言うなれば、本物の敵、であった。
――この相手は自分から一本を取りにくるのではない。生命を獲りにくるのだ――
 そのようなことを改めて意識しなければならなかったのは、ルシェルに真剣を握る経験が浅かったせいもある。
『……身体が強張っている』
 まずいことだ。
 身体のあらゆる部分が緊張して必要以上に力が入ってしまっているような状態では、素早く剣を振ることもできなければ、敵の仕掛けに応じて機敏に体を捌くこともできない。
 人間の体というものは力みがあっては手も足も出ないものなのだ。
 この女が使うだろう魔術に怯えているのか、経験の少なさから自分に自信が持てないのか……。
 そのいずれにしても、善きお手本の如く美しく剣を構えたまま微動だにせずに静止しているルシェルの心の内側は、震えていた。
 構えが美しくても意味は無い。
 構えでは何も斬れないのだ。
 それは重々承知していることだった。
「随分怖い顔をするのね。齢を取ったときに皺(しわ)が残るわよ?」
「…………」
 女が冗談めかしたことを口にしていたが、ルシェルは応じなかった。
 険しくした表情を崩さぬように気を保つことで精一杯だったのだ。
 だが、そんな状態のルシェルがどれほど目つきを厳しくしたところで所詮は似非、虚勢なのだ。
 紛い物の殺気でこの女が動じることは無い。
「どうしても私を斬りたいって言うなら相手になってあげてもいいわよ。ただ、その前に一つだけ聞いてくれるかしら」
「……?」
「封神の離宮――」
 女が次の言葉を切り出したのは、ルシェルの瞳の奥の色が僅かに変わったのを認めてからだった。
「知ってるでしょ? そこまで案内してほしいのよ」
「……何が目的なの」
 思わず、口を聞いてしまった。
 セフィナ以上に城の構造を熟知しているルシェルであったから、『封神』という言葉が何を意味するのかは理解していた。
 無論、そこに何が在るのかも。
 だが、女の目的が封神の離宮にあることは分かっても、その真意までは量りかねた。
 ただの財宝荒らしだとも思えなかったからだ。
「主と同じ事を聞くのね。それにはもう答えたわ」
 女は少々うんざりしたように手を広げてみせ、鋭く尖らせた眼差しを維持しようと気を張っているだろう侍女の顔を見返した。
「ちょっとワケありで急いでるのよ。あまり手間を取らせないでくれる?」
 女がゆっくりとこちらに歩み始めたのを見て、脚が勝手に後ずさりを始めようとしたのをルシェルは、ぐっ、と耐えて口を開いた。
「どんな理由があろうと案内するわけにはいかないわ」
「どうして? お城ってお客を歓迎してもてなすものでしょう? もてなすべき客人に怖い顔をして剣を突き出すのがこの国の流儀なの?」
 五、六メートルほど手前のところで立ち止まった女が、挑発的な笑みを浮かべながらルシェルとセフィナを交互に一瞥(いちべつ)する。
「あなたのような方をお招きした覚えはありません!」
 ルシェルの背後からセフィナが叫び返したが、女の視線がじろりと自分に向けられると身体をびくっとさせて再びルシェルの背中に隠れた。
 そんなセフィナに替わって、ルシェルが今度はやや強めの声音を意識して言葉を継いだ。
「これ以上の侵入を許すことはできないわ。……宮廷侍衛官として、あなたを逮捕拘束します」
 言葉の後ろ半分だけ事務的な口調になったのは、ようやく自分の言うべきことを思い出したからだった。
「あら、そう。……じゃあ、捕まえてみる?」
 まるで他人事のようにあっけらかんとした口調で応じた女だが、その表情からは先ほどの挑発的な笑みは消えていた。
 その瞬間、剣の柄を握り締めるルシェルの両手により一層の力が込められたのは、危機を感じた彼女の無意識がやらせたことだ。
 来る、と思えた。
「……セフィナ様。もう少し離れたところまでお下がりください」
「う、うん」
 呟くように囁かれたルシェルの言葉に頷いたセフィナは、そろそろと後ずさるように対峙した二人から距離を取った。
 自分が背中にぴったり張り付いていると邪魔になるだろうというのは彼女にとっても自明のことだ。
 セフィナが自分の背後から離れていく気配を確かめたルシェルは、ようやく前方の敵に全ての神経を集中させることができるようになった。
「…………」
 この時、ルシェルは初めて、女の瞳と真正面から見詰め合う恰好になった。
 紅い。
 その瞳は、鮮血で染め上げたかのように紅みがかっていたが、同時に純度の高い宝石のように透き通ってもいて、血の色ともまた違う印象を受けた。
 じっと覗き込むと吸い込まれそうな感覚を覚える。
 魔性の瞳とは、こういうものを指すのかもしれない。
 だが、嫌いな瞳だった。
 ……この女の瞳は、戦いを楽しむものの眼。
 流れ出る血を見ることにこの上ない歓喜と愉悦を覚えるものの眼であったからだ。
 それらは、なんら心を痛めることなく人を傷つけ、殺すことができるという残忍性の裏返しでもある。
 自分もこういう眼をするようになったらお終いだと思う。
 回廊は居館の外から流れ込んできた冷たい空気で満たされつつあったが、そこに何かが焦げたような匂いが混じっているのが気になった。
 焼き切られ、炭化した絨毯の一部からするものだと思えたが、その匂いを嗅ぐと、心の内にとても不快な何かが入り込んでくる。
『……誰か、焼かれたのかもしれない』
 それはこの空気を吸ったルシェルの印象だが、ただの嫌な想像ではなかった。
 そう感じた直後に、女の足下に転がっている人の腕を、見たからだ。
 だが、それが誰の腕であるのかは判らなかった。
 ルシェルはまだ、ジェイクス皇子の死を知らない。
 セフィナ皇女を守らなければならない、という意識が強くある今のルシェルに、その他の存在を思い遣る余裕はなかったのだ。
 ルシェルは女の手元に視線を走らせた。
 女の左手には、上部が半月状の弧を描いた黒い杖が握られており、その先端は刺突を目的としているのか、鋭く尖っている。
 奇妙な形状をした杖だった。
 杖身は何かの金属でできているようだったが、鉄などとは違った特殊な材質が使われているようで、艶やかな光沢を放っている。
 この杖を女がどのように扱ってくるのかは想像がつきかねた。
 それは、突く、叩く、といった杖の取り回しのことだけを指して心配しているわけではない。
 女が本当に魔女であるというのなら、それも警戒しなければならなかった。
『でも、本当に魔法を使う……?』
 なんて理屈に合わない心配をしているんだろうと思う。
 ルシェルにとっても、魔術師や魔女なんていうものは昔話やお伽話の世界の存在だった。
 今までに魔術を使うものと立ち合った経験など無かったし、城内にも宮廷魔術師などという肩書きを持ったものはいない。
 伝承や民話の中では、昔はいたとされるが、少なくともルシェルの今までの人生において、何もないところに火を起こしたり、箒(ほうき)に乗って空を飛んだりする人間を見たことはなかった。
 魔術や魔法と言わないまでも、女が何かしらの超常的な力を使うということは、喉に矢を受けても致命傷に至らなかったことと、分厚い城壁に一瞬で大穴を空けるほどの爆発を起こしただろうという仮定から想像されたことだ。
 だが、それは自分の恐怖心が生み出した幻影なのではないかという思いも否定できない。
『何かしらの仕掛けがあれば、あれらの奇術は全て可能なこと……?』
 わからなかった。
 一見、奇跡とも思えるあれらの現象は、ただの手品とは全く別の次元にあるものにも思えたが、それらの延長線上にあるものなのかもしれなかった。
『仮に魔女がいたとして、どうすればいいの……?』
 そんな敵とどう戦えばいいのかなど雲を掴むような話で、すぐにわかるはずがなかった。
 まず、理屈が通じないのだ。
 理に適った戦い方の『理』というのは、あくまで『通常の人間』を相手にした場合を前提に組み立てられているものに過ぎない。
 通常の人間、つまり、凡人だ。
 能力や技術に卓越したものを達人と呼ぶが、彼らも凡人の延長線上にいるというだけの存在だ。
 修練を積んだところで誰しもが達人になれるわけではないが、しかし、存在としては、彼らは人の範疇を出るものではない。
 たとえ石の煉瓦を幾重にも重ねたものを素手で粉砕できたとしても、それは人間業の延長線上にあるものだ。
 一方、何もないところに手をかざしただけで火を起こすという行為は、既に人間業ではない。
 ましてや、城壁を貫通するほどの爆発ともなれば……。
 人智を超越した存在を前にした時、理などというものはあっという間に破綻する。
 消し飛ぶのだ。
 この時、ルシェルは既に敵をいかに倒すか、ということよりも、この場をいかに乗り切るか、ということに意識が向いていた。
 それに、これは単純な一対一の決闘などではなく、彼女は常に自分の背の向こう側にいるセフィナの存在を気にしなければならないのだ。
 そのことがルシェルの脚に重い枷となって絡み付いていた。
 皇女の身を護りながら全く未知の敵を撃退する。
 それを、確実に実行できる、と即答するほどルシェルは自惚れていなかった。
「さて、作戦タイムはもう十分かしら?」
 女の声に、ルシェルは、はっ、と眼を見開いて息を呑んだ。
 思索に意識の大部分を持っていかれたために、目の前の女に全く注意ができていなかった。
 消し炭にされていてもおかしくない間を、相手に与えていたのだ。
 背筋を、嫌な汗が伝っていくのがわかった。
『どうすればいいの……』
 作戦など何も思いつかなかった。
 剣や槍を持った相手なら、何百、何千、何万と繰り返した稽古の中で培った勘がある。
 相手の仕掛けに対して何をすればいいのかは身体が判断してくれるのだ。
 それは、稽古と同じ数だけ打たれることによって身体が覚えた知恵と言っても良い。
 鍛えることで賢くなるのは頭だけではないのだ。
 しかし――。
 魔術、魔法を避ける。防ぐ。凌ぐ。
 そんな練習はしてこなかった。いや、そもそも、そんな鍛錬など存在しない。
 だが、練習していないからできない、などというふざけた言い訳ができないのが、今だった。
 ジリ……。
 女の、踵の高い革靴が、回廊の赤い絨毯を擦るように前に出た。
「フフ……」
 女の微笑。いや、嘲笑か。
「たぶん、すぐ終わると思うけど、できるだけ悪あがきしてみてね」
 その言葉からほんの僅かな間を挟んだ後、
「すぐ死なれると面白くないから」
 女はそんな一言を付け足した。
 この女にとって自分は敵として見られるレベルにないらしい、とルシェルは感じたが、それは構わなかった。
 相手を軽んじるということは、そこに侮り、つまり、油断が生じる。
 実際に相手の力量が下であっても、決して見下したり、戦前に勝ちを確信してはいけない。
 全てが終わるまで勝敗が確定しないのが、勝負というものなのだ。
 そこに隙があれば――。
 ルシェルの頭の中で言葉が転がったのは、そこまでだ。
「……!」
 女が降ろしていた杖を振りかざそうとした時、ルシェルは突進していた。
 仕掛けようと思って飛び出したのではない。
 女に何か厄介な魔術を使われる前にそれを封じなければ、と焦る気持ちに身体を衝き動かされてしまっただけなのだ。
 故に確たる勝算などなかった。
 最短距離を駆け、貫く。
 軽率な突撃ではあっても、女が何かしらの魔術を行使する前にこの剣をその胸に突き立てれば、それで勝てる。
 無理やりにでもそう思い込んだ。
 剣とともに一陣の疾風と化したルシェルは僅か数瞬の間に女の眼前に迫っていた。
 魔術の発動は、無い。
 微動だにしない敵の様子に彼女はそう確信した。
 だが――。
「足下に気をつけてね?」 
 女の囁きが鼓膜に引っかかった。
「!?」
 ルシェルが、自分の足首を掴もうとする火の手を目にしたのはその時だった。
『誘い出された……?』
 その熱さを感じる間もなく、ルシェルは内心に呻いていた。
 女に、自分が身じろぎ一つして見せればルシェルが堪らずに飛び掛ってくるということを見透かされていたのだ。
 女が軽く杖を振って見せた時、魔術は既に仕掛けられていたのだろう。
 童話や昔話に出てくる魔法使いのように、何か不思議な呪文を唱えなければ魔法や魔術というものは発動しない。
 そう思っていた自分が馬鹿だった。
 だが、このまま炎に呑まれるのを大人しく待っているわけにはいかない。
「くっ!」
 一秒と経たずして、周囲の絨毯を焼き払いながら立ち昇った火柱が人の背丈ほどに膨らんだ時、跳躍したルシェルは絡みついてくる火の手から逃れていた。
 だが、それも敵に読まれている、と見たルシェルは回廊の内壁を踏み台代わりに蹴り、跳躍に変化をつけようと試みる。
 さらに身を翻すように反転して天井を蹴ったルシェルの身体は不規則な軌道を描いて女の下へと迫る跳弾となっていた。
 ドッ! ドウッ!
 そのルシェルの軌道を追うように内壁と天井で火球が膨らむ。
 こんな小手先の変化を続けたところで捕まるのは時間の問題だったが、その心配をする必要は無かった。
 既に、自分の剣の間合いの中に女の姿を、捉えていたのだ。
「……っ!?」
 頭上からのルシェルの襲撃に女は初めて驚いたような表情を見せる。
 今なら、一太刀浴びせられるかに思えた。
「覚悟……!」
 淡い燐光を宿した白銀の刃が閃いた。
 その刹那――。
 ギッィンッ!
 頭上に掲げられた女の杖がルシェルの剣と交錯し、鼓膜を震わせるような硬質な金属音が回廊内に響き渡る。
 必殺を期した一撃だったが、実らなかった。
 だが、そのことよりもルシェルにとってショックだったのは、自分が必死の思いで身体ごと繰り出した渾身の一撃が、片手一本で受け止められてしまったことだ。
 加速と体重が乗った一太刀を浴びせたにもかかわらず、細腕一つで杖を構えた女の身体は鋼鉄の塊でも叩いたかのように、びくともしなかった。
 自身の非力は承知していたルシェルだが、大の男ならいざ知らず、一見すると剣も振るったことも無さそうな小柄な魔女にいとも簡単に凌がれたとなると、我が目を疑いたくもなる。
 武術稽古に打ち込んできた今までの人生の全てを否定されたような思いを味わったのだ。
 この女には、人体のサイズからは考えられない膂力(りょりょく)がその身に秘められているか、それとも、己の肉体を強化する魔術でもあるのか。
 そのどちらとも言えなかったが、ルシェルは敵に対する認識が甘かったことを思い知らされていた。
――確かに、この女は魔女だった。
 しかし、今さら認識を新たにしたところで、遅い。
「!?」
 ルシェルは、女の右手が空いていたのを見てゾッとした。
 後方に構えられたその手からは、仄明るい光が迸りつつあった。
「普通の人間にしては頑張った方だけど、まぁ、こんなところね。……ゲームオーバーよ」
 口元に余裕を見せた女は、まるで遊戯の終了でも告げるように囁いた。
 だが、女が告げたのは遊戯の終了などではなく……、
 死刑宣告――。
「バイバイ」
「……!?」
 今までに感じたことのないような恐怖感と寒気を覚えたルシェルが咄嗟に身を退いた直後。
 光が、爆ぜた。
 その時既に、ルシェルの視界は回廊を埋め尽くすばかりに膨張した眩い閃光に呑み込まれていた。




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