熾烈な光と熱の狂号が帝都ヴェルハイムの夜空を貫き、焦がしていた。
銀髪の魔女の解き放った魔力がプラズマの奔流となって、夜気を切り裂く雷光と化したのだ。
その光に内包される圧倒的な熱量は何ものにも立ち塞がることを許さず、触れるもの全てを溶解し、一瞬にして無へと還していった。
エネルギーの激流に摩擦された大気が震え、発生した轟音は雷鳴にも似た響きを持って四方に轟き、帝都を囲むように聳える山々に衝突して反響するまで、それは衰えなかった。
ヴェルトリア城から発した怪光が東の地平線の彼方へ消えていく僅かな間、直下には眩い光芒によって夜の帳が引き剥がされて露になった家々の屋根が見えたが、日の出とは違う何処か寒々しい夜明けの街は、再び這い降りてきた静謐の中へと還っていった。
その、夜明けをもたらした光の生まれたところ――。
「……………………」
セフィナは、自分の身体を叩いていた突風らしきものが治まった気配を感じて、顔を庇うように覆っていた腕を恐る恐る降ろしていった。
ヒュウ……。
数拍の間をおいてから、か細い悲鳴のような弱弱しい風が彼女の額と頬を撫でるように吹き抜けていったが、それが新たに入り込んだ風なのか、それとも先ほどの突風が回廊を一周して戻ってきたものなのかは分からなかった。
回廊内は、白煙と蒸気が入り混じってスモッグ状になったガスのようなものが立ち込めていて、あまり見通しが利かない状態になっている。
その中に、鼻をつくような生臭さ――オゾン臭――と、何かが焼け焦げたような匂いが混じっていることが、セフィナを一層に不安にさせた。
「ルシェル……!」
心の内から湧き上がってきた嫌な予感を振り払うように、セフィナは声を振り絞ってその名を叫んだ。
「……………………」
返ってきた声はなかった。
いや、声はあった。
「フフフ……」
視界を塞いでいた霧が薄くなり、現れた銀髪の魔女の微笑を目の当たりにしたセフィナは、もう世界が終わってしまうのではないかというほどの深い絶望に襲われた。
その魔女の瞳だけがゆらりと動き、血の気の引いて蒼白くなった皇女の顔を視界の端に据える。
「ルシェルは……? ルシェルをどうしたの……!?」
魔女より先にセフィナの口が動いていたのは、恐れで身体が硬直してしまう前に何かしなければ、という焦りがあったせいである。
「どうしたか……って?」
魔女の瞳が再び元の位置に戻り、正面に滞留している霧の塊の奥を見遣るようにした。
「いるじゃない、そこに」
「…………!?」
魔女が呟くように答えた直後、俄かに薄まった霧の中から、伸脚して床に座るような状態で壁に背をもたれているルシェルの姿が、セフィナの眼に捉えられた。
「……!? ルシェル……!」
息を呑み込むのを堪えるように絞り出された声は、セフィナの舌の上で力なく転がっただけだ。
ルシェルの身体は無事なように見えた。
が、目に光がなかった。
力がまるで通っていない四肢を床に投げ出すようにして壁に上半身をもたれているルシェルの姿は、壁の支えがなければ倒れてしまう人形のようであった。
「よく避けられたわね……。大したものよ」
魔女は手にしていた杖の先端を、ルシェルの喉元へ狙いを定めるように向けていた。
その間隔は、拳一つ分ほどしかない。
「ルシェル逃げて!!」
セフィナの悲痛な叫び声だったが、ルシェルの気を取り戻すほどの力は無かった。
「頭を打ったのかしら? それともすぐ近くで大きな音がしたから耳をやられたの? 人間って脆くて大変ねえ」
魔女は鋭く尖った杖の切っ先をふいと遊ばせるようにして、ルシェルの首筋をなぞった。
「フフフ……」
セフィナの目にはその時の魔女の微笑が今までの中でもっとも凶悪なものに見えていた。
切っ先を深く入れたようには見えなかったが、それでもルシェルの喉元にはなぞられた跡を追うように薄く紅いものが滲み出し始めた。
「…………!?」
ルシェルの身体が、跳ねるように僅かに震えた。
「あら、お目覚め?」
「……………………」
ルシェルは口を開かなかったが、その覚醒は瞳に力が戻ったことを見れば分かる。
「叫んだり身をよじったりしなくて正解ね。暴れてたら自分から喉を突き破るところだったわよ?」
「……………………」
自分の置かれた状況を把握できていなかったルシェルだったが、目醒めたときから、そのことは知っていた。
正確には、目醒める前から『感じ取って』いた。
喉がチリチリと灼け付くような熱と、ヒヤリと刺してくるような冷たさを感じたからこそ、彼女の意識は戻ったといえる。
身体を動かさなかったのは瞬間的な判断だが、これも逃げた方がいい場合とそうでない場合がある。
動かない方が良いというのは自分の皮膚感覚に従っただけであり、それは直感的な判断でしかない。
だが、こうして生き残っているのは運でしかないということも分かっていた。
魔女の手から、豪雷のようなエネルギーの奔流が放たれんとした時、確かに、ルシェルは予想される射線から自分の身を外そうと飛び退ってはいたが、その魔法がどれ程の威力を秘めたものなのかは全く見当が付かなかったし、回避を試みたルシェルを捉えようと、魔女が薙ぎ払うように魔法を掃射したところまでは見えていたからだ。
そして、その魔法の威力は、ルシェルの想像を遥かに凌駕するものだった。
躱わせたというのは、運でしかない。
しかし、運がよかった、という結論も、ルシェルの受けた感覚とは違っていた。
『……生かされてる』
そういう、気持ち悪さがあった。
気を失っていた間もそうだが、先ほどの魔法も、あのままルシェルを丸呑みにすることなどこの魔女にとっては容易かったはずである。
それをせずに、寸でのところで止められたのではないかという想像が、ルシェルの脳裏に強く焼きついていたのだ。
それは、想像というよりは確信と言ってよかった。
「さぁ、どうして欲しい?」
魔女の質問の意味は分かった。
殺され方を選ばせてやるというのだ。
「このまま喉を突き刺すというのはちょっと品がないわね……。綺麗な花火になるのと、永遠の美と若さを手に入れるのはどちらがいいかしら?」
「…………?」
「もちろん、後者を選んだ場合は氷の彫刻になってもらわないといけないけど」
魔女はルシェルの姿が映りこんだ紅い瞳を無邪気に躍らせていた。
そう、邪気は無いのだ。
この状況を楽しんでいる。
この魔女には、ただ、それしかなかった。
だから、殺されなかったのだ、とルシェルは理解した。
その瞳は、子供が玩具で遊んでいるのと何も変わりがない。
故に、無邪気なのである。
既に、この魔女が人間かどうかなど疑う段階にはなかったが、容認できることではなかった。
生命を玩具のように扱ってみせて、それで何も痛みを感じることが無いという。
故に、無残に人を殺せるのである。
玩具を壊す程度の感覚で多数の人間の手足を吹き飛ばし、彼らの生きるはずだった時間と可能性の全てを奪い去り、それと同じか、それより多くの人たちに大きな悲しみを背負わせるのだ。
善し悪しを論じる次元の問題ではなかった。
「ポーズくらいは選ばせてあげるわよ? 尻持ちついたままじゃあんまりでしょ?」
「……黙りなさい」
「あら、変ねえ。空耳かしら?」
「黙りなさい!!」
まだ魔女の杖の切っ先が首筋に押し当てられている感覚があったが、ルシェルは構わずに叫んでいた。
喉が、熱かった。
「そう……、その眼よ」
ルシェルを見下ろす魔女の瞳に不快の色が濃くなっていくのが見えた。
「さっきからその眼をされると無性にメチャクチャにしてやりたくて堪らなくなるの」
魔女の手に力が込められていくのが杖を伝わってきた。
ズッ、という喉元への圧力が強くなってきていたが、ルシェルはまだ耐えていた。
まだ、突き刺されたわけではないにしろ、このまま座していては死を待つより他無いのだが、彼女の身体が、まだ動かない方がいいという判断を彼女の意識に伝えていたからだ。
それが、なぜそう感じるのかは、ルシェルにもわからなかった。
ただの予感でしかない。
だが、彼女は自分の感覚に命運を沿える覚悟は決めていた。
時として、身体は頭脳より利口であることを、ルシェルは知っていたのだ。
「わたし……真っ直ぐな眼って……」
魔女の声とともに杖身がワナワナと震え、その度にルシェルの喉元にジリッとした刺激が走った。
「嫌いなの!!」
魔女が叫びを上げたその刹那――。
ゴッ!
「…………?」
ルシェルの目の前に白い影が落ちて、転がっていた。
「退がりなさい化け物! ルシェルにこれ以上傷をつけるのは私が許しません!!」
魔女の瞳が床に落ちたハイヒールを捉え、その瞳はすぐにセフィナへと奔っていた。
「いい加減に殺すわよ? クズだと思って放って置けば調子に乗って……!」
初めて、殺意の込められた視線をまともに浴びたセフィナは、さすがに残ったもう片方のヒールを魔女に投げつける気力は萎えさせられていた。
「貴女なんて瞬き一つする間に――」
魔女がその言葉を最後まで言い終えることはなかった。
ドンッッ!
その、瞬きを一つする間に魔女の身体は反対側の壁へと叩きつけられていた。
「ウッ……!?」
ゴボと吐き出された粘性の高い血液がルシェルの背中に飛散していた。
身体ごとぶつかって行ったルシェルの直剣が魔女の鳩尾を刺し貫いていたのだ。
ルシェルはこの時、自分の身体はこの瞬間を待っていたのだと気付いた。
「いっ……! 一瞬の油断が、命取りって……、よく、言ったものね……! ウゥッ……!」
魔女は口唇の端から血を滴らせながら苦鳴を漏らしていたが、頭を低くして全身で魔女の身体を壁に押さえつけているルシェルにそれは見えなかった。
『このまま断ち割る……!』
やることは決まっていた。
鳩尾に入った剣を更に斬り上げ、魔女の上体を二つに裂くのだ。
相手は人間ではない。
これくらいやらねば殺せぬと思えた。
が――。
魔女の鳩尾を貫いたルシェルの剣は、それ以上は動かなかった。
「…………!?」
魔女の右手が、ルシェルの左の腕を、掴んでいたのだ。
「……まさか、たった一回油断を突いたくらいで、勝ったなんて思ってるんじゃないでしょうね……?」
「っ……!?」
その力は強く、魔女の爪はルシェルの腕に深く食い込もうとしていた。
獲物を捕らえた猛獣がその鋭利な牙を突き立て、今まさに捕食せんとしているかのようだ。
パァァァ……!
魔女の杖が烈しい燐光を放ち始め、太陽を直視したときのように、ルシェルの視界の右半分を眩ませた。
「今度は、逃がさないから……!」
そう叫んだ魔女の顔を見上げたルシェルに戦慄が走った。
狂気。
恍惚。
憎悪。
愉悦。
それらが濃厚に混ざり合った人の顔がそこにあったからだ。
いや、その存在は人間ではなかったが。
魔女が奇炎を放つ杖を振り上げたのと、ルシェルが半身を開くようにして右腕一つで魔女の腹から剣を引き抜いたのは同時だった。
交錯――。
「…………っ!?」
急激に膨張した大気と熱と光の渦が、回廊内の全ての存在を、弾き飛ばしていった。