BLADES OF BRAVES

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 少年は、《環》を見上げていた。
 星空の中に、青白い光が列を成して浮かんでいる。
 不思議な《環》だった。
 どうやら、自分以外の誰にも、視えないものらしい。
 この《環》のことを教えても、皆が、そんなものはどこにもない、と言っていた。
 今は、誰にも《環》のことを話したりしない。まともに取り合ってくれないからだ。
 少年は、村から少し離れたところにある小高い丘の上に寝そべっていた。誰にも教えていない、秘密の隠れ場だ。少年は、ここでぼんやりと《環》を眺めているのが好きだった。
 星々の瞬きとも違う、穏やかで、どこか神秘的に煌く光の大河。
 ここからは河か帯のようにしか見えないが、あれはたぶん、《環》だと思う。
 実際にどこまで伸びているのかは、わからない。幼いころは、光の河が途切れるところまで走ってみようと幾度となく挑戦していたのだが、いつも途中で息が上がってくたびれて、早く家に帰ろう、となってしまう。
 今なら、あの頃よりもっと遠くまで行けるかもしれないが、どうせ無駄に決まっている。
 あの河は、どこまでいっても途切れることがないのだ。それで納得しておけば、くたびれなくて済む。
 きっとあれは、この世界の周りをぐるっと取り囲んでいるに違いない。
 昔から、神様が世界を円(まる)く創ったと伝えられているのだから、あれも円い輪っかになっているはずなのだ。
 初めて《環》の存在に気づいたのは、いつだっただろうか。よく憶えていない。どうやら自分は物心がつく前から、月を導くかのように星空を流れてゆく不思議な光の列を飽かず眺めていたらしい。母からそう聞いた。でも母には、ぼけっとしてなにもない夜空を見上げているとしか、思われていないのだ。
 あの《環》は、一体どうなっているんだろう。
 もっと近くで見てみたい。さわれるなら、さわってみたい。
 あのふわふわした光は、触れると、どんな感触がするんだろう。
 でも、精一杯に手を伸ばしたって、届くわけがない。空の上にあるのだ。
 空の上には届かないまでも、どうにかして、あの《環》と自分をつなげる方法はないものだろうか……。
 そう思ってみたところで、そんな方法などなにもなさそうだけれど。
 いったいどうしたら、あの《環》とつながれるんだろう。
 わからない。
 しかし、こうして眺めているだけでも、《環》が自分になにかを語りかけているような気分になってくる。
 なにを言っているのか想像したところで、なにも浮かんではこないのだけれど。
「…………」
 急に馬鹿馬鹿しく思えてきたので、少年は考えるのをやめて、瞳を閉じた。

「――なにを見ているの?」

 ふと、声が聞こえた。
 澄み切った清泉のような、涼やかで麗らかな声音。
 初めて耳にしたはずの声なのに、昔から知っているような気分になるのが、不思議だった。
 誰が、声をかけてきたのだろう。 
 瞼を開いて、首だけをそちらの方へ向けてみた。
「ん?」
 そこには、白衣(びゃくえ)に身を包んだ一人の少女が立っていた。うなじの辺りで束ねた金色の髪が、上空の満月と同じ色に輝いている。
 雪のように白い肌をした、美しい少女だ。
 整然とした佇まいからは大人びた雰囲気が感じられたが、額を隠すように垂らした前髪や、少し多めに残した後れ髪のおかげでやや幼くも見える。
 興味深げにこちらを覗きこんでいる空色の瞳に、思わず見惚(みと)れてしまいそうになった。
 初めて見たはずの顔なのに、昔から知っているような気分になるのが、やはり不思議に感じる。
 そのまましばらく見つめていると、頬を恥らいの色に染めた少女が顔を伏せた。
「あ――」
 少年は慌てて立ち上がった。顔をじろじろ見すぎたのかもしれない。綺麗なお姉さんや可愛い女の子の顔をじっと見入ってしまうのは、悪い癖だった。
「あれを見てたんだよ」
 幾分の気恥ずかしさを誤魔化すように、上空の《環》を指し示そうとした。
「……あれ?」
 しかし、そこに《環》はなかった。
 いつの間にか、白い部屋の真ん中に立っていたことに気づく。ここは、少女の部屋なのだろうか。目の前に立つ少女の姿以外に、なにも見当たらない。
 それにしても、なんて白い部屋なのだろう。
 ひたすらに、白い。
「あなたは、どうやってここに来たの?」
 少女に尋ねられても、答えられなかった。気づいたときには、なぜかここにいたのだ。
「この塔に、抜け道なんてあったのかしら?」
「え……? あ、うん」
 抜け道なんて知らないが、首を縦に振ってしまった。
 塔?
 この部屋は、どこかの高い建物の上にあるのだろうか。
「それなら、私を外に連れて行って欲しいの」
「外に?」
「この塔から外に出ては行けないと、お婆さまにきつく言われているの。でも、毎日、ここに押し込められているのは、もう耐えられなくて……」
 哀願するように語った少女に、少し同情してしまった。こんな真っ白いところに毎日いたら、頭がおかしくなってしまいそうな気がする。 
「わかった。じゃあ、おれの後についてきてよ」
 ここから外へ出る方法なんて知らない。でも、こんなに可愛い子と出口を求めて探検するのは、とても楽しそうな気がした。
「ありがとう。それなら、今度お願いしてもいいかしら?」
「今度?」
「もうすぐ稽古の時間だから、今から出かけようとしてもお婆さまに見つかってしまうわ。だから、外に出るのはまた次に会ったときにお願いしたいの」
「そんなのすっぽかしたって、後で謝れば許してもらえるよ」
「お婆さまはとても厳しいのよ。……ごめんなさい。そろそろ行かなくちゃ」
 少女が背を向けて歩き出した。彼女を呼び止めたい衝動に駆られる。
 少女が、白い世界の彼方に行ってしまう。
 このまま彼女を行かせてしまったら、もう二度と逢えなくなるかもしれない。
「また、逢えるよね?」
 その背中に、呼びかけていた。
 行かないで欲しい。
 そう言っていれば、断られてもすっきりしたかもしれないのに。
 でも本当に断られてしまったら、きっと耐えられないと思う。
 そんなことを考えながら、恐る恐る彼女の返事を待った。
「――ええ。また逢いましょう」
 こちらへ振り向いた少女の顔には、少年をほっとさせるには十分すぎるくらいの優しげな微笑が浮かんでいた――

「…………」

 眼が、醒めた。
「夢か」
 ため息を吐(つ)くように欠伸(あくび)をした。
 一眠りする前より濃くなった夜空には、相変わらず青白い光を放ち続ける星々と《環》が浮かんでいる。
 ――そりゃそうだ、と思う。
 あんな可愛い女の子が、この村にいるはずはないのだ。
 現実は、非情だと思う。
 非情なまでに退屈で、つまらない。
 いつから世界はこうなってしまったのだろう。
 幼い頃は、空も海も太陽も、もっときらきらに光って見えていたはずだと思う。
 あの輝きは、なんだったのだろうか。
 あの頃は、なんてことのない原っぱまで瑞々しく煌いていて、悪戯と遊びの区別が付かない悪ガキたちを未知の冒険へと誘(いざな)ってくれたというのに……。
 この世界には、もっとたくさんの輝きが詰まっていたはずなのだ。
 もう、あんな輝きを目にすることは、二度とないのだろうか。
 大人になんか、なりたくないと思う。
 これから夏が終わり、秋が過ぎ、冬を迎えて来年になれば、見習い成人として、村の大人たちの仕事を手伝わなければならなくなる。今から憂鬱だった。
 本当の大人になるわけではない。半人前として厳しくしごかれる期間が三年もあって、それからようやく一人前として認められて成人式を迎えられる。それまでは結局、子供の扱いなのだ。子供をどやしつけたり、時には小突き回してこき使うなんて、こんな酷い話があってよいはずはない。
 ……自分は、一人前の大人に、なれるのだろうか。
 出し抜けに湧いてきた不安が胸裡に渦巻く。
 なにをやっても中途半端で投げ出してしまう自分のことだ。どんな道を選んだところで、きっと輝かしい未来なんて待っていないだろう。
 いつもぼんやりとしていて、くだらない失敗を繰り返して、誰かに大きな迷惑をかけて、そのたびに怒られて……。
 そんな一生を歩んでいくのかと想像すると、このまま生きていくのが嫌になる。
 毎日、正体不明の胸苦しさを感じていた。時間だけが、いたずらに過ぎていく。なにかしなければならない、という焦りに似た気持ちは持っているが、なにをしたらいいのか、わからない。
 いっそのこと、ここではない、どこか別の世界があるなら逃げ出してしまいたいくらいだ。
 夢の中に出てきたあの少女と一緒に、世界の果てまで行ってしまいたい。
 あの星空を越えて、もっと、遥か彼方へ。
 一番高いところから、あの《環》を見下ろせたら、いったい、どんな景色が現れるんだろうか。
 その前に、《環》にたどり着くための方法を考えるのが先かもしれない。
 あそこまで行けば、なにかが、観(み)えるはずだ。
 あの少女にだって、逢えるかもしれない。
 きっと、逢えるはずだ……。
 取り留めもない想像を転がすのに疲れてきた少年は、再び目を閉じて夢の続きを見ようと試みることにした。



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