【第二章】黄泉反す祭りの星夜の下に、命の縁は紡がれる
第九話 黄泉返しの祭り

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 男山の麓で、ぽつ、ぽつ、と小さな光の列が生まれ始めた。松明(たいまつ)の光だ。その中央に、ひと際大きな灯火が立ち昇ってゆくのが見えた。戦士様の櫓の上には大きな炬火台(きょかだい)があり、そこに火が灯されたのだ。
「俺たちも松明を掲げろーっ!」
 オレスの掛け声を機にして、妖婆櫓の陣営でもそれぞれの松明に火を点け始めた。松明を手に持つのは、櫓の押し手を除いた半人前の少年たちである。妖婆の櫓にも、頭の上に戦士櫓と同様の炬火台があって、盛大に火が燃やされるのだ。
 炬火台の火柱から無数の火の粉が舞い散り、異相の妖婆に紅の薄化粧を施す。
「うわっちち! 間近で見るとすげえな、これ」
 炬火台に灯を入れたオレスは、頭の上に降ってくる火の粉を避けながらも感歎の声を上げていた。
 攻め手として櫓の右手に配置されたアストだが、妖婆の拳の中にすっぽりと収まって、腰に巻いている命綱が解けないようにしっかり結ばれているのを確認する以外、まだやることがなかった。櫓を昇降する際に使う縄梯子(なわばしご)を、もっと丁寧にまとめようとすれば働いているふりはできるのだが、それはやり始めると面倒なことになりそうだ。代わりに、身の回りで確認しておくべきものはないか探すことにした。
 櫓の脇には槍のように長い木刀が備え付けられており、櫓が動いたり、ちょっと揺れたぐらいでは外れないように、しっかりと固定されている。木刀の全長は二メトレ十サント(二メートル十センチ)余りで、本当は七尺棒というらしい。戦士様の櫓にも同じような木刀を持った攻め手が左右に配置されていて、人を直接攻撃することは禁止されているものの、これで櫓に取り付けられた面を割った方の陣営が勝者となるのだ。
 妖婆櫓で攻め手に選ばれたのは、アストとユータの二人だった。オレスが大将になった時点でアストが選ばれることは決まっていたようなものの、ユータの方は、他にやりたがる人間がいなかったので仕方なく役割を押し付けられた恰好である。戦士様の櫓を動かす来年なら事情は変わるだろうが、やられ役の妖婆櫓では、大将を決める時だって、オレス以外に名乗り出る者はいなかったのだ。
「おーし! 進めーっ!」
 オレスの号令を皮切りに、妖婆の櫓が巨体を軋ませながら動き始めた。松明の列が、戦場となる野原の中央へ向う篝火(かがりび)の路を作り、女山の麓から続くなだらかな斜面を、妖婆の櫓が滑るように降りてゆく。
 いよいよ、櫓の戦いが始まるのだ。
 いつの間にか、心の奥底に燠火(おきび)のような興奮が燻(くすぶ)っているのを自覚したアストは、気持ちを鎮めようと上空を仰ぎ見た。さっきまではすっぽかそうとしていた行事なのに、巨大な櫓と灯火の行列を間近にすれば、やはり気持ちが昂(たか)ぶるものなのかもしれない。
 相変わらず、透き通るような夜闇に浮かぶ星々が綺麗だったが、月の姿は見えない。月齢が若ければ沈むのも早いから、きっとそのせいだろう。もっとも、今夜昇るのが新月なのか満月なのかもわからないのがアストであるが、ひとまずそれで納得しておくことにした。
「…………?」
 ふと、西の空が黒雲に覆われて暗くなっていることに気付いた。
「おいアスト、どうした?」
 じっと空を見つめていたら、櫓の上からオレスが声をかけてきた。
「西の方、雲が出てきてないか?」
「ああ、なんかそんな感じだな。雨が降ってきちまうと厄介だけど、まぁ、だいじょうぶだろ」
 アストと同じ方角の空を覗いたオレスが、楽観的な返事を寄越した。
「あのさぁ、雨が降ったら、祭りが中止なんてことになったり――」
「しねえよ!」
「そうだよね。あーあ」
 ユータはこの期に及んで櫓の戦いが取り止めになることを期待していたようだが、オレスに一喝されてしょぼくれたような声を漏らした。
「なあ、アスト」
「なんだよ」
「俺は決めたぜ」
 妖婆の面のすぐ隣に立ってこちらを覗き込むオレスは、いつになく真剣な表情だった。
「なにを?」
「……もうちょっと、近くに寄れよ」
 言われたとおり手前に寄ると、周囲の様子を気にしながら視線をめぐらせたオレスが、囁くような声で告げた。
「今日、櫓の戦いに勝ったら、俺はマナミちゃんに告白する」
「え!?」
 アストは返す言葉に詰まってしまった。
「前から考えてはいたんだが、一応、お前に断っておこうと思ってな」
「そんなの、おれに断られても困るんだけど」
「だから、一応だよ! 知らない間に俺がマナミちゃんに手を出してたら、いい気分しないだろ?」
「まぁ、驚くかもしれないけど、それは当人同士の自由だからな……」
 近頃のオレスは積極的にマナミへ近づこうとしていたから、そろそろこういう状況が現れるような気はしていた。
「じゃあ、構わないんだな? 嫌だって言われても告白はするけどよ」
「勝手にしてくれよ。それは俺がどうこう言えることじゃないしな」
 半人前に婚姻は許されていないが、恋愛自体が禁止されているわけではない。オレスが告白するのは自由である。だが、マナミにもそれを受け容れるかどうか決める自由があるのだ。アストとしては、二人が恋仲になろうがなるまいが、あまり関わりたくないところだった。自分が関わったばかりにうまくいかなくて、親友か妹のどちらかに恨まれるようなことがあったら堪らない。
「応援は、してくれないのかよ?」
「なに?」
「お前、マナミちゃんの兄貴なんだろ? なにか、俺の手助けになることはできないのかよ!」
「そんなこと言われてもなぁ。おれの家(うち)での立場、知ってるだろ?」
「もちろん知ってっけどよ! あー、なんだよ! つかえねー兄貴だな! ――ぬわっ!?」
 オレスが大袈裟(おおげさ)な身振りで嘆いたのと同時に、櫓が突然停止した。
「どうしたっ!?」
「大将がお喋りに夢中になってる間に、もう着いたんだよ」
 ユータが呆れたように呟く。
「なにぃ!? 聞こえてたのか?」
「オレスの声が大きいから、聞きたくなくたって聞こえてくるんだもん」
「なんだと、お前、ユータのくせに――」
 さらにオレスがなにか言いかけたところで、
「やっときたか! 悪ガキども!」
 前方からサーシャの声が響いてきた。だがそれよりもアストたちの注意を惹き付けたのは、薄灯りの奥に聳(そびえ)え立つ戦士の櫓だ。
 骨組みを覆う真紅の外套と、眦(まなじり)を決した厳(いか)めしい形相が刻まれた戦士の面。それが今にも動き出さんばかりの迫力と威圧をもって、アストたちを睥睨(へいげい)していた。兜を模した頭部の炬火台には、二本の角飾りが突き出ている。無数の灯火に照らし出された戦士の櫓は、妖婆の櫓よりもずっと雄々しく猛々しいばかりの威厳をその身に纏っていた。
 これから始まる櫓同士の戦いに見てくれは関係ないものだと思いたいが、新前が組み立てた櫓が、半人前が組み立てた櫓より劣るということは、やはり無いだろう。
 アストは戦士櫓と睨(にら)めっこするのをやめて、周囲の景色を見渡した。
 妖婆櫓から見て右の方に大きな焚き火が燃(も)されているおかげで、かなり明るい。焚き火は縒(よ)った縄で囲まれており、これから半人前の女子たちが灯送りの儀で使う神火(かみび)としての役割を担っていた。その周りに村人たちが集まって、めいめいにお酒を飲んだり、振舞われた料理をつついたりしながら祭りを見物しているのだ。一番奥には村長(むらおさ)の一族が座るための高座が設けられていて、例年であればサーシャもそこにいるはずなのだが、今年は灯送りに参加するため、巫女となる他の少女たちに混じって焚き火の前で出番を待っていた。
「おじいちゃーん! もう始めていーいっ?」
 巫女の白装束を纏ったサーシャが、高座に腰掛けている禿髪(とくはつ)の老人に呼びかける。村長が片腕を静かに上げて合図を送ったのが、櫓に乗っているアストにはよく見えた。
「じゃあ、神火を送って!」
 サーシャが最後尾の少女に指示を出し、神火を灯した松明が少女たちの手を次々と渡って前方に送られてきた。
 彼女たちが松明を運んでいく先には、石を積み上げて建てられた御神火台がある。高さは人形櫓と同じほどで、手前に設けられた祭壇から松明を投げるのだが、神火を途中で落としたり、投げ入れるのに失敗して外れたりした場合は、新しい松明を後ろから送ってもらわなければならなかった。
「村長の孫だからって、なんであいつが女子の代表みたいになってんだよ。もっと性格がよくて可愛い子なんて、他にいるだろうが」
 オレスは、サーシャが神火を投げ入れる役を務めることが気に入らないようだ。
「性格とか可愛さで代表を選んでるわけじゃないからな」
 アストが口にしたところでサーシャがこちらを振り向いたが、今の言葉が聞こえたわけではなさそうだった。
「き、聞こえてたんじゃないの?」
「別にいいさ」
 ユータは怯えているようだったが、こっちは日頃から散々嫌味を言われているのだから、これくらいどうってことはないと思う。
 その間に神火が少女たちの先頭まで送られ、松明を手にしたサーシャが神妙な顔つきで祭壇の上へと登っていった。
「えーいっ――」
 結わえ付けられた紐を手に持って、松明を勢いよく回したサーシャが、
「とおりゃああああっ!」
 気合のこもったかけ声とともに、神火を投げ放った。
「外せ!」
 オレスがそのように叫ぶのが聞こえたが、宙に緋色の軌跡を描いて飛んだ松明は、見事に御神火台の中に納まった。勢いよく噴き上がった火柱が、サーシャたちの灯送りが成功したことを告げている。
「やった! みんな見た見た!? 今のすごいでしょ! あたし一回で成功したよ!」
 よほど嬉しかったのか、サーシャは壇上を飛び跳ね回って喜んでいる。
「ちぇっ」
 オレスは面白くなさそうに舌打ちしたが、サーシャの投げ松明が成功しないことには祭りが先に進まない。
「バカサーシャ! 跳ね回ってないで口上をさっさとしろ!」
「わかってるよ! えーっと、こほん……」
 オレスの野次に怒鳴り返したサーシャは、神妙な顔つきを取り戻してから御神火台に背を向けて、灯送りの巫女としての口上を述べ始めた。

火は熾(おこ)された
黄泉返しの刻は来たれり
祖霊の墓前に集いし子らよ
霊代(たましろ)へ反魂(はんごん)の焔(ほむら)を宿したくば、力を示せ


 厳(おごそ)かな声色を崩さずに口上を終えたサーシャが、束の間、ほっとした表情を見せる。だが、すぐにいつもの険悪な目つきになって妖婆櫓の方を睨みつけてきた。
「バカオレス! ぼけっとしてないであんたも口上! 早くしな!」
「わーってるよ! ……いちいちエラそうに、うるせえな」
 妖婆櫓の半人前たちを代表して口上を述べるのは、大将であるオレスの役目だ。

我ら、闇の底に屠(ほふ)られし妖婆の子ら
今宵黄泉返りを果たすは我らが宿望(しゅくもう)なり
憎き戦士と其の子らの首貰い受け、積年の大怨今こそ霽(は)らさん


 どこかヤケクソではあったが、元々声が大きいオレスの口上はよく響いた。妖婆櫓の口上が終われば、次は当然、戦士櫓の番だ。相手方を見つめるオレスの表情が険しくなった。

我ら、誇り高き魂を継ぎし戦士の子ら
今宵は我らが烈祖のご来光を祝い称える祭なり
招かれざる怨霊と其の子らを討ち掃(はら)い、再び黄泉へと送り返さん


 その声には力があり、自信に満ち溢れていた。その見事な口上ぶりに、観衆の間に喝采が拡がる。
「なんで決められた言葉を口にするだけなのに、向こうには拍手喝采が起きんだよ」
 オレスが不平を零したが、決められている言葉でも上手いか下手かで見物している人たちの反応は違うものだ。
 その拍手喝采を一身に浴びた人物は、悠然とした足取りで戦士の面の手前に立った。戦士の櫓が着せられているものと同様の緋色に染められた外套と、羽飾りのついた木彫りの面を身に着けたその姿は、まさに戦士オルグの再来を髣髴(ほうふつ)とさせる堂々たるものだ。右の手に持たれた長い木刀が軽やかに風を切って回り、妖婆櫓のオレスに向って真っ直ぐ突き出される。
「それでカッコつけたつもりかよ! ただの道化じゃねえか!」
 同じように木刀で相手を指し返したオレスだが、その腕は微かに戦慄(わなな)いていた。
「たまには道化も楽しいものだぞ。お前のように毎日道化を演じるとなれば、話は別だが」
 戦士の顔を彫られた面が外され、精悍な面立ちが現れる。彼こそがオレスの兄であり、村の言い伝えにある戦士と同じ名を与えられた青年、オルグであった。



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