【第二章】黄泉反す祭りの星夜の下に、命の縁は紡がれる
第十三話 灯移しの儀、そして――

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 ――あのバカ! なんて間が悪いときにきやがるんだ……!
 妹の前で無抵抗に殴られるのは、兄としての沽券(こけん)に関わるような気がした。かといって、避けたりしたらもっと殴られる羽目になるかもしれない。
「みんな怪我はしてない? 他の人たちは?」
「ああ、大丈夫だよマナミちゃん。心配させちゃってごめんな!」
 オレスが、強引に笑顔を作って応えていた。頬が腫れ始めているので、笑おうとすれば痛いはずだ。
「オレスさん!? その顔どうしたの?」
「あ、ああ! これは今転んじまって、櫓とは全然関係ないところで怪我しちまっただけだ。いやー、俺って、つくづくバカなんだよなぁ!」
「でもそれ、転んだくらいでできるような怪我じゃ……」
「いやいや、それがさ、俺って転んだくらいでこういう怪我を作っちゃうんだよなぁ! 常に力いっぱい生きてるから、こうなっちゃうのかなぁ!」
 無理やりな空元気を振り絞ってでも、兄に殴られた、と言わないのはオレスの意地だろう。アストにも、その気分はわからなくない。
「そいつのことはしばらく放っておいてくれないか。大事な話をしていたところなんだ」
 マナミが近くに来てしまったおかげで、オルグは説教の続きがやりにくそうだった。
「でも、ひどく腫れてるみたいだから、早く冷やしてあげないと。お母さんが、打ち身に効く湿布を作ってたはずなんだけど……」
「後にしてくれ。今は、アストを自警団に入れると話していた途中だ」
「えっ!?」
「えぇっ!?」
 マナミにつられて、アストまで大きな驚声を漏らしてしまった。
「いつの間に、そういう話になってたんだよ……?」
「うちのお兄ちゃんが、自警団に……、入るんですか?」
 信じられない、というマナミの視線がアストの横顔に注がれる。
「ああ。急に人手を増やすことになったので、めぼしいやつを見つけたら声をかけておくように団長から言われていたんだ」
「それで、おれに目をつけたっていうのか?」
「そうだ。ちょうど、祭りの時期だったからな。半人前の中にいい動きをするやつがいないか、見させてもらった」
「そういうことだったのかよ……」
 アストは、オルグが攻め手同士の打ち合いへ加わらずに、戦況を静観していた時間帯があったのを思い出した。あれは、アストの実力を見極めるためだったのだろう。
「でも、おれ、いい動きなんか、したのかな……」
「今年の半人前から選ぶなら、お前だ。オレスに代わって櫓の指揮を執ったときの判断も、的確だった。それに……、悔しいが、今日の勝負はお前の勝ちだ」
「それは、どういうことだよ?」
「お前の木刀が、戦士の面に傷をつけたのはわかっているな」
「ああ……」
 でも、割ることも破ることもできなかったと思う。
「あの面は、この辺りには自生していない特別な霊樹から削り出して作ったものらしいんだが、その話は聞いたことがあるか?」
「いいや。霊樹って、なに?」
「俺も詳しくは知らない。その霊樹から面を作る段階で特別な加工を施して、木刀ではなかなか割れないほど丈夫にしてあるという話だ。だから、妖婆の面と同じ条件で戦っていたら、お前の突きが戦士の面を破っていたはずさ」
「そうなんだ。道理で手応えが硬すぎたわけだ……」
 アストは、まだ痺れが残っている手のひらを軽く振った。
「お前たちの櫓が見晴らし台から駆け下りてきた時は、さすがに冷や汗をかいたがな。それでもわずかな傷が付く程度で済んだのだから、よしとするしかないだろう」
「ふうん……。要するに、戦士櫓ってのは、ズルいんだな?」
「そういうことだ。戦士に敗北は許されないからな」
 アストの言葉を、オルグはあっさりと肯定した。わざわざ種を明かした上で自らの負けを認めるのだから、その態度は潔いというほかない。
「話は大体わかったけど、おれたちの大将の評価はどうなるんだ?」
「あいつは、櫓の上でやかましく騒いでいただけだ。評価に値しない」
 アストは、余計なことを訊いてしまったと思って、隣を見た。オレスが、じろっとした目つきでアストを睨んでいる。
「フン! 下手に活躍してたら、クソ兄貴の手下にされちまうところだったんだな! あぶねえあぶねえ! 今年は負けてよかったぜ!」
 オレスがおかしな強がり方をしていたが、笑う者はいなかった。
「今は、母親の手伝いをしているんだったな」
 オルグは弟を無視したまま話を続けた。
「ああ、そうなんだけど……、一応、家業を継ぐって言ってる手前、どうしようかな……」
「首にしてもらえ」
「え!?」
「親方の目を盗んで道具を悪戯に使う見習いなど、首になるのが当然だろう。自分で言い出しにくいのなら、俺から話をしておいてやる」
「ちょ、ちょっと待って! それなら自分で言うよ! 人様に言われて恥をかかされたって、擂り鉢一発で済むところが、二発、三発になりかねないだろ!?」
「わかった。それなら、自分で話をつけてくれ」
 オルグの声と表情はあまり変わらなかったが、口元は微かに笑っているようだった。アストの母親がどんな人であるか、彼はもちろん知っている。
「でも、参ったなぁ……。いきなりやめるなんて言ったら、おふくろも困るかな……。見習いの間に通算四回目の首だなんて、人としてどうなんだろ……」
「おにいちゃん、よかったじゃない! お母さんもきっと喜んでくれると思うよ!」
 実際にはマナミの言う通りなのだろうが、一応、唯一の弟子がいなくなるわけなんだから、もう少し人材の流出を惜しんでくれてもよいのではないかと思う。
「いつも思うんだけど、お前とおふくろはさ、そんなにおれを家(うち)から追い出したいのかよ?」
「そんなことないよ! いつもお母さんと、『どうやったらおにいちゃんを独り立ちさせられるんだろう?』って話はしてたけど……」
「やっぱり、おれを追い出す気満々なんじゃねえかよ!」
「だって、おにいちゃんには立派になってもらわないと、このままじゃお嫁さんだって来てもらえないでしょう?」
「そんなことまでお前に心配してもらう筋合いはないと思うな! おれは!」
 やはり、母がそんなことばかり妹に吹き込んでいるのだろう、と思う。
「でもさ、本当におれなんかでいいのかよ。仕事が大変だったら、すぐに逃げたり隠れたりしちゃうやつって知ってて誘ってるわけ?」
「もちろん知っているが、それくらいの方が叩き直す甲斐がある」
 口調こそ軽い冗談のようにも聞こえたが、オルグの眼は本気だった。
「あ、やっぱり今から逃げようかな……」
「だめだよおにいちゃん! 今度は私もお母さんも協力するから、絶対に逃げ出さないように頑張らないと!」
「その協力するってのは、オルグさんに協力するって意味で、おれに協力するって意味じゃねえだろ!」
「そんなの当たり前でしょう! おにいちゃんが逃げるのを手伝ってどうするの! もうこれ以上逃げたりなんかしたら、毎日ごはん抜きです!」
「お前な……、毎日ごはん食べられなかったら、人は死んじゃうだろ……?」
 今日一日だけで、かなり追い詰められたと思う。長年使っていた隠れ場は見つかってしまうし、次に仕事を投げ出したら毎日食事抜きにされて餓え死ぬ未来が待っているし……。
 実に困った。参った。弱った。
「家族の理解が得られるなら、話は早いな。突然で悪いが、明日から詰め所の方へ顔を出すようにしてくれ」
「わかりました! 必ずそちらに向わせますので、よろしくお願いします!」
 なぜか、マナミがえらくはりきった様子で頭を下げていた。
「あーあ、ついにアストまで兄貴の軍門に降(くだ)っちまうのかよ」
 先ほどからずっと仏頂面をしているオレスが、面白くなさそうに口を尖らせた。
「降ったつもりはないんだけど、降らないと飯抜きになっちまうんだから、仕方ないだろ……」
「飯と言えば、農家の方で収穫期の人手が足りないという話があったな。アスト、お前は農具を使ったことがあるか?」
「ないけど、……まさか、その人手を確保するのにおれを雇うのか?」
「俺たちが自給自足をしているのは知っているだろう。田畑なら自前でも持っているが、こうした手伝いも大事な仕事の一つだ」
 オルグの言葉通り、自警団はただ村の治安を守っているだけではなくて、田畑を耕して自分たちの食い扶持を確保したり、村内の普請(ふしん)などで急に人手が必要な仕事が発生したら、手伝いのために人員を派遣するということもよくやっている。
 農家や牧場の仕事を手伝えば、報酬として農産物や畜産物を貰うことができるので、大事な仕事だと言われれば確かにそうだ。他には、行商人が近隣の町や村へ交易する際の警護もやっていて、直接に通貨を得られる貴重な収入源になっている。
「おーい! 悪ガキどもは生きてるかぁ!」
 見晴し台の方から降りてきたサーシャが、松明を軽く振りながら大声で呼びかけてきた。櫓の暴走から脱(ぬ)け出したチャラムたちと、一緒に歩いてきたようだ。
「全員無事だぜー! 櫓の方は、ちょっと残念なことになっちまったけどなぁ!」
「本当に木っ端微塵になるんだからびっくりしたよ! あんたたちのやることって、いっつもろくなことにならないんだから! ――なにそのひどい顔!?」
 小走りに駆け寄ってきたサーシャが、オレスの顔を見て驚きの声を上げた。
「そんなにひどくねえよ! ちょっとそこで転んだだけだ!」
「あんた、悪ふざけが過ぎるから、オルグさんにこっぴどく叱られたんだろ? いい気味だったじゃない」
「う、うるせえなぁ! ――いつっ……!? あんまり大声出させんなよ……!」
 転んだという言い訳は、マナミに言った時点で通用していなかったのに、オレスもなかなか学習しないものだ。
「全員戻ってきたようだな。後は戦士像に神火を移して、妖婆櫓を燃やすだけだ。すべて終わり次第すぐに祝杯を挙げるから、お前たちも一緒に呑め」
「え……?」
 オルグの言葉がすんなり理解できなかったので、アストとオレスは顔を見合わせた。
「俺らも、兄貴たちと一緒に呑んでいいのか?」
「そう言った。嫌なら、無理にとは言わないが」
「呑むよ呑むよ! ぶん殴られた上に酒も呑めないなんて、最悪の祭りだぜ!」
「その顔では、お前は酒が沁みて呑めないかもしれないな。それなら、他の者たちだけでも――」
「呑むって言ってんだろ! なんで俺だけ仲間はずれにしようとすんだよ! 村の英雄が、そんなタチの悪いいじめをやってもいいってのかよ! えぇっ!?」
 あえて意地の悪いことを言うオルグと、しつこく食い下がるオレスの姿が面白かったので、アストたちは声に出して笑った。
「みんな聞いたかー! 兄貴が、俺たちにも酒を分けてくれるってさー!」
「なに!? 本当かー!?」
「ちょうど一杯やりたいところだと思ってたんだよ!」
「お前、酒呑んだことないだろ!」
 オレスからの報告を受けて、チャラムやゴンタたちの間に歓喜の声が拡がった。
「で、でもオルグさん、僕たちは負けちゃったからお酒を呑む資格がないし、もし村長(むらおさ)に怒られでもしたら……」
 皆が浮かれている時でも、ユータの心配性は相変わらずだった。目の前にある良いことよりも、その裏に隠れている悪いことを見つけるのが、得意なのだ。
「その時は、俺が怒られてやるさ。嫌がるお前たちに、無理やり酒を呑ませたってな」
「おおー!」
「漢(おとこ)だ!」
「英雄だ!」
「さすがオルグさん!」
 オルグの侠気(おとこぎ)に興が湧いたのか、チャラムたちは調子のいい言葉を口々に並べ立てた。
「どうしたんだよ兄貴? いったいどういう風の吹き回しなんだ?」
「今日、お前に溜め込んでいた不満をぶつけられて、俺なりに考えるところがあった。今まで気付いてやれなくて、すまなかったな」
「な、なんだよ急に気持ち悪いな……。あ、でも兄貴、実は俺も一つ、謝らなきゃいけねえことがあるんだけど……」
「どうした?」
「親父の干し肉、こっそり持ち出してきたんだけどさ、みんなに食われてだいぶ減っちっまったんだ。これが親父にバレたら殺されちまうよ……」
 オレスが、腰に括りつけていた革袋を申し訳なさそうに差し出した。
「お前の手癖の悪さは相変わらずだな……」
 オルグは呆れたようにため息をつきながら、差し出された革袋を受け取った。
「これは確か、親父が知り合いの猟師から貰ったものだったと思うが」
「ああ……」
「仕方ないな。猪の一頭くらい、二人で仕留めにいくか。親父には、それで許して貰おう」
 自警団の人たちは猟師と一緒に山狩りを行うこともあるらしいから、オルグが手伝ってくれるなら「猪の一頭くらい」はなんとかなりそうに思える。
「手を貸してくれんのか!? やっぱ兄貴は頼りになるぜぇ!」
 強力な助っ人を得て心強くなったのか、オレスは兄の背中をばんばん叩いている。こういうところは、本当に調子がいいやつだ。
「オレスも、オルグさんと仲直りできたみたいだし、これで一件落着だね」
 ユータはほっとしたような笑顔を浮かべていた。
「ああ。……それにしてもあの人、豪傑か?」
 これは男として敵うはずがないなと、アストは思う。
「よーし、アスト! 灯移しなんてつまんねえもんはすっぽかして、さっさと祝杯の準備に行こうぜ! お前の入団祝いも一緒にやってやるからさぁ!」
「結局お前も、兄貴の軍門に降ったんだな」
「今日のところはな。ま、本当の勝負はこれからってやつだ!」
 オレスに連れ出される恰好で、アストは仲間たちのもとを抜け出した。酒樽を積んだ荷車の場所は、オレスが知っているらしい。櫓の戦いで負けた場合は、盗んででも酒を飲もうと考えて、事前に調べていたのだろうか。
「それはそうと、マナちゃんの件だけどさ……」
 もう周りには人がいないのに、オレスは声を絞って耳打ちしてきた。
「マナちゃん……?」
「マナちゃんだよマナちゃん! とにかく、マナちゃんのことだけど、今日告白すんのはお預けにしとくぜ。無様に負けちまった後だし、こんな顔じゃ格好つかねえよ……」
「それはいいけど、なんか、呼び方が少し馴れ馴れしくなってないか?」
「それくらい見逃せよ! そんな器が小さいことを気にするなんて、マナちゃんの兄貴にふさわしくないぜ!」
「なんだよそれは……」
 今日一日ですべての問題が片付いたわけではないんだな、と思う。新しい仕事を始めて自分がうまくやっていけるか自信がなかったし、オレスとマナミの件も、勝手にしてくれとは思うが、なんとなく心がそわそわして落ち着かない。
「おおー! これだこれ!」
 荷車を見つけるなり、オレスが酒樽の蓋を開けて頭を突っ込んだ。清酒の飛沫が上がり、隣で見ているアストのところにまで酒精の匂いが漂ってくる。荷車には、一抱えほどはある酒樽が三つ載せられていた。これなら、新前と半人前の全員で分け合っても十分呑めるだけの量はありそうだ。
「おい、オレス……!」
「ぷはぁっ、沁みるぜ! いいだろ今日くらい! 一度でいいから、大量の酒に顔を突っ込んで呑んでみたかったんだ! もう風呂代わりに飛び込んじまいたいくらいだぜ!」
「それはやめとけって!」
「なんだよ! あーいやだいやだ! 自警団に誘われたからって、急にマジメないい子ちゃんのふりなんかしちゃってさぁ!」
「そういうことじゃねえよ! せっかくの酒が呑めなくなるだろ!」
 しかしオレスに言われてから、もう以前のような馬鹿騒ぎができる立場ではなくなったということを自覚した。
 それは、ただの悪ガキから立派な大人になるために、仕方のないことなんだろうか……。

 荷車を引いて祭りの会場に戻ると、ちょうど戦士像への灯移しが行われている最中だった。御神火台の裏にある階段を昇ったサーシャが、神火を松明に灯して天に祈りを捧げる。巫女の役になりきっている時のサーシャには普段のじゃじゃ馬娘の面影はなく、階段をしずしずと降りてくる姿は、それらしく見えなくもない。
 サーシャから松明を手渡されたオルグが、戦士櫓の正面に立った。櫓は、土台の開き戸が左右に開放されていて、内部に納められた戦士像の姿が見えるようになっている。
 それは、ただの石像と呼ぶにはあまりにも生々しく、荘厳な気配に満ちていた。
 隆々とした筋骨を誇る偉躯が、石の中から掘り出されたというより、石の上に、浮き上がっている。
 その堂々たる姿は、古代の戦士様がそのまま石になってしまったのではないかと思えるほどだが、戦士像の胸部には人の手によって穿たれたらしき空洞があり、神火を宿すための灯篭(とうろう)のような構造が仕込まれていた。
 戦士櫓と戦士像では装いに異なるところもあるが、最も際立った違いを挙げるとすれば、その背に負われている巨大な剣だ。身に持て余すほど大きな剣は、櫓に取り付けると不安定になるので再現するのは難しそうだった。
 戦士様は、こんなものを振り回して戦っていたのだろうか。
 アストが荷車を止めて儀式を見守っていると、階段を昇って土台の内部へ入ったオルグが、戦士像に向って一礼し、神火を掲げた。
「反魂の焔(ほむら)は、我らがこの手に勝ち得たり! 我らが烈祖にして偉大なる戦士オルグよ! 黄泉の底より還りて我らを護り賜え!」
 祝詞を謳い上げたオルグが戦士像に灯を入れた、その瞬間(とき)。
それ≠ヘ、起こった。



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