【第四章】昏き影、嗤う魔女、集う光
第三十四話 囚われの魔女は嘘泣きで神に祈りを捧げる

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 午後になったら、突然深い霧が出てきた。
 アストたちの村は海の近くにあるのでそれ自体はよくあることだったが、今日は晴れていて日差しも強かったはずなのに、急に周りが見えなくなるほどの霧が出てくるなんて変だと思う。最近は、日によって暑くなったり肌寒くなったりを繰り返していて、ちょっとおかしな天気が続いている。でも、気温が一気に上がって暑くなるよりは、霧が出て涼しくなる方が過ごしやすかった。「これじゃ洗濯物が乾かなくなっちゃう」と、マナミはひどく不機嫌そうな顔をしていたが。
 アストとルシェル、それにアヤノを加えた三人は、祭りの日に地下から現れた巨大な石塔を調べるために外出していた。ルシェルが塔の様子を見に行きたいと言ったので、午後の稽古は中止にしていいか尋ねてみたところ、アヤノが承諾してくれたのだ。
 これで、おおっぴらに稽古が休める、と喜んでしまうとアヤノになにか言われそうなので、
「いやー、ものすごく稽古がしたくてうずうずしてるんだけど、急用ができちゃって困ったなぁ」
 と言ってみたのだが、
『ならば、拙者らが帰ってくるまで、アストどのは一人で素振りを続けていても構わぬのでござるよ』
 などとアヤノが意地悪なことを言うので、
「素振りなんて大した稽古にならないだろ! おれも行くよ!」
 と、慌てて家を出ることにしたのだ。
 今日は長袖の白いワンピースを着ているルシェルの隣に、いそいそと並ぶ。
「急にわがままを言って、申し訳ございません」
「いやいや、気にしなくていいよ。――で、あの塔にはなにがあるの?」
「それはわかりませんが、かつてルシエラと敵対した七英たちが、支配地内に様々な結界を仕掛けて彼女を苦しめた、という話を聞いたことがあります」
『つまり、ルシェルどのの身体が不調に襲われたのも、その結界とやらに原因があるやもしれぬのでござるな』
「はい」
 アヤノが尋ねると、ルシェルはしかと肯いた。
「ですから、あの石塔が話に伝え聞いた結界と関係があるのか調べてみたいのです」
「そういうことか。また突然具合悪くなったら困るもんね」
「はい」
 ルシェルの話では、この地に着いたときから力がうまく使えなかったということだから、突然現れた石塔とその結界には、なんらかの関連性があるように思えた。
「でも、あの時はすぐアストさんに介抱していただいて、とても助かりました」
「うちで少し休んでもらっただけだから、そんなに特別なことはしてないけど。持ち直したのは、ルシェルさんにそういう力があったからだろ?」
『それは無論のことにござろうが、アストどのやマナミどのが、ルシェルどのを受け容れる《場》を作った、ということも重要なのでござるよ』
 アヤノはいつものように小さくなって、アストの左肩に乗っていた。今はアストの《力》を使って実体化しているので、彼女の髪は少し露に濡れている。命が持つ《力》を使うことに慣れるため、アヤノに常時実体を持たせることも修行になるのだという。そうしていてもすぐに疲れるということはないが、彼女が実体を持ってちょろちょろ動き回っていると、そのうち頭がぼうっとして眠くなってくる。そこで素直に居眠りし始めると、アヤノに叩き起こされてしまうわけだが。
「《場》って、なんだよ?」
『あの塔が如何(いか)なる役割を持つものかはわからぬが、この地にルシェルどのの力を奪う呪場が布(し)かれているのは確かなようでござる。然(さ)れど、アストどのやマナミどのが、ルシェルどのの存在を受け容れたことで、かような呪力が害を及ぼさぬ、無害な《場》が生まれたのでござるよ』
「わかったような、わかんないような気がするけど、そんな呪(まじな)いみたいなものがこの村にかけられていたなんて、知らなかったな」
『恐らくは、毎年開かれていた祭りに、そのような意味があったのでござろう』
「黄泉返しの祭りに?」
『ふむ。祭りとは即ち、呪(まじな)いごとを行うための儀式でござるからな。ルシェルどのの先祖を妖婆として忌み嫌わせることで、この村にはその血に連なる者を害する呪念が満ちていたようでござる』
 アヤノの言葉は、アストにとって肝が冷えるものだった。
「言われてみれば、厄をもたらす妖怪おばばを好きだってやつは、この村にいないもんな……。おれたちが毎年やってた祭りのおかげでルシェルさんが苦しむことになるなんて、想像できなかったよ」
『それとその妖怪おばばが、必ず戦士に敗れるという力関係を祭りに組み込んだがゆえに、ルシェルどのにとってはよほど不利な《場》ができあがっていたのやもしれぬな』
「負け運みたいなものが、土地につくのか?」
『左様』
「じゃあ、御神火台の下に埋まってたあの塔に、悪い念を溜めこむような働きがあったのかな」
『さあ。それは調べてみぬことにはなんとも申せぬ』
 難渋げに答えたアヤノは、袖に手を入れながら瞳を伏せた。
 彼女が言うとおりの力がこの地に働いているなら、やはりあの塔を調べてみる必要があるはずだ。
「そんな呪(まじな)いをずっと昔からやらされてたなんて、恐ろしすぎるな。ルシェルさんが言ってた魔女みたいなやつが、こういうことを仕組んで、おれたちの先祖にやらせてたのかな……」
 あの一日のために、何百年も前から周到な準備を進めていた者がいると想像しただけで、全身の毛が逆立つような寒気を覚えてしまう。
「レニヤという魔女が陰で糸を引いているようなのですが、戦士オルグが現れたあの日、他の七英たちも各地で黄泉返ったのかもしれません」
「昔は凄い力を持った人たちがいたってのは聞いたことあるけど、あの戦士様一人でもとんでもないのに、他にも似たような仲間がいて徒党を組んでるなんて、冗談じゃないよ……」
『件(くだん)の塔を調べることで、その七英とやらについても、なにかわかればよいのでござるが』
「そうだな」
 アストは、ちょっとした散歩気分で出てきた自分を反省した。
「それにしても――」
 霧の向こうには、目指す石塔の影が朧(おぼろ)に見えているのだが、いくら歩けどその姿は一向に近づいてこなかった。
「こんなに遠かったっけ?」
『ふむ、これはちと面妖でござるな。一度立ち止まってくだされ』
 アヤノに言われ、立ち止まった。
『アストどの、気持ち多めに《力》をお貸しくだされ』
「いいけど、なにをするんだ?」
『無境(むきょう)の縄張りに、切れ目を入れてご覧に入れる』
 そう言うなり、アヤノの身体が宙へ浮き上がった。
「無境の縄張り?」
『左様。あちら様には気取(けど)られぬよう、こそっと入ることに致すか』
 悪戯げに呟いたアヤノは、立てた右手の人差し指で、つつ、と宙に縦一文字の線を引いた。羽衣を実体化したときと同じくらいに目が眩むのを覚悟していたが、そこまでの負荷はかからなかったようだ。
『これでよし』
 アヤノはひとりで満足しているが、彼女がなにをしたのかはアストにわからない。
『ここより先は、お喋り無用のことでござるよ』
「それって、向こうになにかが潜んでるっていうこと?」
『人の気配が二つ。それに、よくわからぬ生き物のような気配が一つ、というところでござるな』
「まさか、戦士様とその仲間、とかじゃないよな?」
『いや、あの手合いが放つような妖しげな気配ではござらぬよ。ただ、用心するに越したことはござるまい』
「わかった。じゃあ、気をつけながら進んでいこうか」
 ルシェルと視線で肯きあったアストは、再びアヤノを肩に乗せて塔へ向った。

       †

 とても、イライラしていた。
 扉にかけられた《鍵》を解除する符牒(ふちょう)が見つからないから、ではない。
「ねえ、やっぱりやめようよ……」
 万事につけて消極的な相棒のせいだ。
「ここまできて、なにもしないで帰るって言うの!?」
 マリーシアは、隣に突っ立っているだけで少しも手伝おうとしないエリウスを怒鳴りつけた。彼の愛犬であるジェドが、主人の肩に昇ってきて襟巻きのように身体を巻きつけている。
 塔の扉には魔術的な処理を施された《鍵》がかけられていて、これを解除するための符牒を入力しなければ開くことができなかった。《鍵》に関する情報を図像化して宙に呼び出し、両腕に展開した咒紋の演術駆式と連結して解析を試みているのだが、解錠させる符牒が思うように見つからない。
「人がこんなに必死で計算してるのに、ちっとも鍵が出てこないってのはどういうわけ!?」
「解析が無理なら、諦めて帰ろうよ」
「ぜったい、イヤ! 諦めたら今までの労力が無駄になっちゃうでしょ! なんのために《霧》まで張ったと思ってるの!」
 手元に結像させた制御用の鍵盤――これも咒紋で構成されている――を、苛立ち紛れに叩き続ける。
「ここが《昏き時代》から存在する遺跡群の一つだったら、中には使えるモノが一つくらいあるかもしれないじゃない! この村を離れる前に、ちょっとくらいお宝探しをさせてもらったっていいでしょう!? どうせ村の人たちは塔に入れないんだろうし!」
 もしかしたらこの塔には、あの女≠ノ対抗できるような、とても強力な《咒具(じゅぐ)》や《神術兵器》が眠っているかもしれないのだ。
 最初は遺跡に入ってお宝探しをするつもりなどなかったのだが、古代の超遺物が眠っている可能性に思い当たってから、やっぱり塔へ入ってみる気分になったのである。
「そんなことしてるうちに、中からなにか出てきたらどうするのさ」
「なにかって、なによ?」
「わかんないけど、とりあえず竜とか」
「竜が出ようが巨人が出ようが、そんときは、あんたが命懸けで戦いなさい。あたしはその間に逃げるから」
「……それ、人としてすごく最低だよ」
「あんたが湿気(しけ)たことばっかり言うから、意地悪の一つくらい言ってやりたくもなるでしょ!」
 イライラが極まった弾みで、制御盤を乱暴に叩きつけてしまった。
「あ!? 変なとこ押しちゃった!?」
「え!? それまずいよ!」
「あんたがごちゃごちゃうるさくするからよ!」
「ごちゃごちゃうるさくしてるのは、マリーシアだけだと思うけど」
「そういう口答えがうるさいっていうのよ!」
 二人で口論していると、眼前に新たな図像が表示された。
「なんか出てきたよ」
「あたしすごい! 適当に押したら合ってたんじゃないの!? ――で、なにこれ?」
 図像の周縁に表示された文字に眼を走らせて、素早く意味を読み取る。
「霊体認証? この円に手を合わせろっていうの? なにそれ? 二重に鍵をかけてあるなんていやらしい扉ね! 符牒が合ったんならさっさと開きなさい!」
「はい、残念。マリーシアの手じゃ、開くわけがないもんね」
「諦めるのはまだ早いわ。あたしの手じゃ開かなくても――」
 呟いたマリーシアの姿が光に包まれ、見る間に別人のものへと変わってゆく。
「この女≠フ手なら、どうかしら?」
 そこに現れたのは、宵闇色のドレスを纏った銀髪の女だ。
「『どうかしら』って言われても困るよ」
「枉人(まがびと)の王女の手よ? 大昔の遺跡は枉人が管理してたのがほとんどなんだから、これで開くに決まってるわ!」
「でもこれは霊体認証なのに、見た目だけそっくりにしても誤魔化しきれないんじゃないの?」
「ただ見た目をそっくりにしただけじゃないのよ! 固有の霊体波動だってほぼ完璧に再現できてるはずだし、誤魔化せないはずがないわ!」
「そうかなぁ」
 マリーシアがいくら胸を張って力説してみせても、エリウスの不安げな眼差しに変化はない。彼は何かにつけて後ろ向きな考え方しかしないから、自分はいつもイライラさせられるのだ。
「前に、ボロっちい遺跡で試して開いたことがあったじゃない? 案外、今回もうまくいくかもしれないわよ」
「あれはボロっちい遺跡だったから、間違って誤作動しただけなんじゃないの?」
「じゃあ今回も誤作動するかもしれないでしょ! あんたって、いっつもジメジメとケチつけるようなことばっかり言うから嫌い! これでもし開いたら跪(ひざまず)いて詫び入れなさいよ!」
 マリーシアは、銀髪の女とそっくりになった自らの手を、図像の中央にある光円に合わせた。
 すると、光円が眩い光を放ち――
「ほら開くわよ! 今すぐ開くわよ!」
 どこからともなく警報が鳴り始めた。
「なんか、まずいんじゃないの?」
「まずくないわよ!」
「だって、警報みたいなの鳴ってるし、その円も真っ赤になってるよ」
「気のせいに決まってるでしょ!」
 目の端で、警告文らしきものが現れたのを読み取ったが、無視することにした。
 表示された文字列には、
不正な侵入を検知。捕縛機構、作動
 と、綴られている。
 ……これって、無視し続けるのはまずい表示かしら。
「やっぱり、なんかまずそうだよ」
 急速に反転、明滅を繰り返す図像と文字列の一群を見上げながら、エリウスは徐々に後ずさりを始めた。
「ちょっと! どこに行く気よ!?」
「酷いことが起きる前に逃げようよ! なんか嫌な感じがするってジェドも言ってるし」
「待ちなさいって! 制御はこっちで抑えてるんだから、酷いことなんて起きるはずないじゃない! ――あれ? 駆式の連結が解かれてる?」
「ほらやっぱり――」
 エリウスがなにか言いかけたところで、眩い光が二人を覆い包んだ。
「あぁっ!?」
 光に押し出されるように、身体が弾き飛ばされた。
「いたたたた……、もう! なんなの!?」
 すぐに起き上がろうとしたその時、周囲の地面から複数の突起が出てくるのを目にした。
「発振器?」
「なんの?」
 エリウスの問いへ被せるように、発振器らしき突起から一斉に閃電が迸った。
「な、なによこれ!?」
 瞬時に電光の牢獄が形成されてしまった。
「あーあ、捕まっちゃった」
 エリウスががっくりと項垂(うなだ)れる。
「暢気(のんき)に項垂れてる場合じゃないでしょ! その犬をけしかけて、あの発振器を壊させなさいよ!」
「無理だよ。ジェドは電気でビリビリする系が苦手なんだ。あと、熱いのもあんまり得意じゃない」
「飼い主に似て、ここぞというときに役立たずね!」
「そういう自分はどうなのさ!」
 普段はなにを言われてもすました顔をしているエリウスだが、《犬》のことを馬鹿にされると、すぐむきになって怒る。
「あたしがなんとかしたいのは山々なんだけど、なんか咒紋がうまく呼び出せなくなってるのよね……。さっきの光でピカッとやられたせいかしら?」
 あの光には、一時的に咒紋を封じる力でもあったのかもしれない。
「自分だって、大概役立たずじゃないか! 咒紋じゃなくて頭がやられたんじゃないの!」
「あー! エリウスのくせに生意気なこと言っちゃって! ここ出られたら覚えてなさいよ!」
 おでことおでこがくっつきそうになるくらいの至近距離で睨み合う。
「そんなこと言って脅したって、先に出る方法を考えなきゃ意味がないだろ!」
「いま考えてるわよ! 《霧》を解いて村の誰かに来てもらったとしても、普通の人じゃどうにもならなさそうな状況かしら。――ねえ神様! どこかで見てるんならかわいそうなあたしたちを助けてぇっ!」
 胸の前で両手を組んだマリーシアは、天に向って祈りを捧げた。しかも、嘘泣きまでしている。
「神様の遺跡を荒らそうとしておきながら神様に助けを求めるなんて、お笑い種(ぐさ)だよね――あいてっ!?」
 こんな状況でも憎まれ口を叩けるエリウスに腹が立ったので、拳骨を落とした。

      †

 塔の近くから、若い男女が言い争うような声が聞こえてきた。
「なんか、やたらと騒がしいんだけど」
『ふむ、無駄に賑やかでござるな』
 アストの肩の上に立ったアヤノは、遠くを見晴らすように手を額の辺りにかざしていた。相手に気取られぬようこっそりと進入することにしてからは、彼女の身体は実体化が解かれた状態になっている。
 視界がはっきりするところまで近づいていくと、まず最初に、火花を迸らせる電光の檻(おり)のようなものが見えてきた。その中に、二人の男女が囚われているようだ。銀髪を白々と輝かせている妖しげな美女と、灰白色の髪をぼさぼさに伸ばした少年の姿が確認できる。飛び交わされる悪口から察するに、ヴェルトリアからやってきた人たちだろうか。
 少年の首に、黒いふかふかの毛皮が巻かれているように見えた――と思ったら、その黒いふかふかがひょこっと頭を持ち上げた。……犬だったみたいだ。黒犬は、じっ、と警戒するような瞳をこちらに向けている。
「なんだあれ? 捕まってるのかな?」
『そうとしか見えぬが』
「あ!?」
 接近してくるアストたちに気付いたのか、女の方が驚声を上げた。
「ほら見なさいよ! あたしがいつもいい子にしてるから、神様が助けを遣わしてくれたじゃない!」
「おれたちのことを言ってるの?」
「違うの!? だったら、あんたたち何者!? どうしてここまで入ってこれたのよ!? 折角あたしが《霧境(むきょう)の結界》を張っておいたのに!」
 早口で捲(ま)くし立てられたせいか、アストには彼女が言っていることがよく理解できなかった。
『あれはよくできたものでござったな』
「なにその小さい人!?」
 今のアヤノは実体化していないのに視えるということは、この女は《眼》が開かれているようだ。
『なんともかしましい女子(おなご)でござるな。拙者らがここにいるのは、おぬしの結界とやらに切れ目を入れたからでござるよ』
「切れ目? あんたたち、そんなことできるの!?」
『左様に申した』
 アヤノは答えると同時に、アストの肩から地面へ跳び下りた。
「あたしたちになにをするつもり?」
『なにもせぬよ』
「むしろ、ここでなにをしてそうなったのか、こっちが聞きたいくらいなんだけど」
「そこの扉を開けようとしたら、変な仕掛けが作動しちゃってこうなったの!」
「それは――」
「たいへんでしょ? かわいそうでしょ? 正直に教えたんだからお礼に助けてちょうだい!」
 あまりに厚かましい女の態度に、アストは閉口した。
 自分から大袈裟に主張されると、「たいへんだ」とか「かわいそう」という気分はどこかに消えてしまうものだ。
『助けるのは構わぬが、この牢を壊せばよいのでござるか?』
「助けてくれるのね? じゃあ、お願い! そこの発振器を全部壊してあたしたちを外に出してくれない?」
『発振器とは、どれのことでござろうか?』
「そこの地面からビリビリするのを出してる『でっぱり』が見えるでしょ!」
『ほう、この出っ張りでござるか。お安い御用にござる』
「――待ってください!」
 ルシェルが突然大きな声を出したので、アストだけではなくアヤノまで驚いた表情でそちらを振り向いた。
『ルシェルどの、如何(いかが)したのでござるか』
「あの人は、帝都を襲った魔女です」
『あれが魔女、でござるか?』
「ちょ――ちょちょちょ!? ちょっと待って! 人違いよ!」
 確かに魔女らしい恰好をした銀髪の女が、酷く慌てた様子で首を左右に振っていた。
「それなら、どうしてあなたは魔女レニヤと同じ姿をしているの?」
 ルシェルは依然として厳しい眼差しで女を睨みつけている。
「あ!? これはさっきちょっとだけこの姿を借りたからでしょ! 咒紋が不調だけど、解くくらいならできるから待ってなさい!」
 女の身体が光に包まれ、紫色のケープを羽織った黒髪の魔女へと姿を変えた。
「ほら、これでわかったでしょ? あたしは、あんたたちが言ってるような魔女とは別人なの」
「でも、さっきの魔女から別の魔女に変わっただけで、怪しいことには変わりないよな」
『ふむ。アストどのの言う通りでござるな』
「そんなぁっ!? あんたたち! 人の言うことが素直に信じられないなんて、よっぽど心が捻くれてるんじゃないの!?」
 魔女の声が大きいので、牢獄の中から喚かれるたびに耳がキンキンする。
「だって、おれたちには本当の姿なんてわからないんだし、今の方が偽の姿かもしれないだろ」
「じゃあ、どうやってあたしがあたしであることを証明しろっていうのよ!? ここですっぽんぽんになれとでも言うの!? 鬼! 悪魔! 変態!」
「誰もそんなこと言ってないだろ。……そういや何日か前に、あんな魔女みたいな恰好したやつがちっちゃい子を泣かしてたような」
「雪が降った日のことですね。私も憶えています」
 アストの記憶は朧(おぼろ)げだったが、ルシェルが憶えているのだから間違いはなさそうだ。
「あっ!? あれだって誤解よ! 泣いてる子がいるからあたしが親切に声をかけてあげたのに、もっと泣き出しちゃっただけなの!」
「ルシェルさんが言う魔女じゃなかったとしても、やっぱり悪い魔女なんじゃないか? だいたい、魔法とか使って悪いことをするから、魔女って呼ばれてるんだろうし」
「なに言ってんの! あたしは善(い)い魔女よ! 善い魔女! 虫も殺さない善良な魔女を捕まえて、なんて失礼なことを言うのかしら!」
「この前、『蚊がうるさい』ってだけで、火柱起こして灼き殺したじゃないか」
 隣にいる少年が、ぽつりと呟いた。
「蚊はいいのよ。痒(かゆ)いから」
 魔女が涼しい顔で反論する。
「どうもよくわからない人たちだな」
『なにやら怪しげな二人組ではござるが、一先(ひとま)ず、そこから出してやってもよいのではござらぬか?』
 アストが対応を持て余していると、アヤノがそのように提案してきた。
「本当にだいじょうぶなのか?」
『これまでの様子を見た限り、この娘たちからさほど悪意は感じられぬ。それと、もう一つはっきりしたことがござる』
「なんだよ?」
『二人とも、縁持つ者≠ナござるよ』
「あいつらにも、縁があるっていうのか?」
『左様。試しに放しておやりなされ。万一暴れ出したときは、拙者らで懲らしめてやればよいだけのことにござる』
 アヤノがそう言うのであれば、反対する理由は特にない。
「……わかりました。アヤノさんにお任せします」
『ふむ。では、ビリビリをなんとか致そう』
 ルシェルも承服したので、アヤノが羽衣を取り出して実体化した。
「やっぱり助けてくれるの? それなら早く助けて! すぐ助けて!」
『どうにも落ち着きのない娘っ子でござるな。――ほれ』
 アヤノが羽衣を鞭のように振って、瞬く間にすべての発振器を破壊した。
 電光の牢獄が消失する。
「やった! ようやく自由を取り戻したわ!」
 電光の中で縮こまっていた魔女が、うんと伸びをしながら快哉(かいさい)を上げた。
「助けてくれたんだから、一応のお礼は言っとくわね、ありがとう! でも、散々人をワル魔女扱いしてくれたのは絶対に忘れないから! エリウス! 行くわよ!」
「そういう態度が誤解を生む素なんじゃないかな?」
「うるさい!」
「あいて!?」
 魔女とその連れ合いらしき少年は、アストたちから逃げるように去っていった。
「なんなんだ、あいつら?」
『わからぬ』
「本当に、おれたちと縁があるやつらなのか?」
『それは間違いござらぬ。しかも、相当に強い縁でござるよ』
「よくわかんないなぁ、それ」
 二人組が去ってから間もなく、周囲に漂っていた霧が嘘のように晴れ上がっていった。
「じゃあ気を取り直して、塔の探検を始めよっか! ここが開かなくても、別の入り口があるかもしれないし――」
「おい! そこでなにをしている!」
 アストの言葉を遮るように、後方から大きな声が響いてきた。
「ん?」
 声が聞こえてきた方向へ振り返ると、大柄な中年の男が急ぎ足でこちらへやってくるのが見えた。その襟元で、自警団の徽章が光っている。徽章と同じくらいに光っているあの禿頭(はげあたま)は、すぐに拳骨を振り回してくるゴドーという団員に違いなかった。「皆殺しのゴドー」という通り名でアストやオレスたちに恐れられている男だが、皆殺しをしたような逸話があるわけでもないのに、なぜ物騒な通り名を付けられているのかは、誰も知らない。
「げ、間が悪いときに見つかった!」
「お前! やっぱりいつもの悪ガキだな? 霧に紛れて塔の中に忍び込むつもりだったんだろう!」
「違うって!」
「嘘をつくな! 詰め所でみっちりお説教を食らわしてやるから覚悟しろ!」
 言われるとおりの嘘なのだが、正直に謝ろうが、言い訳をしようが、とても許してもらえそうな雰囲気ではない。
「ルシェルさん、逃げよう!」
「ええっ?」
「塔を調べるのは、またの機会ということで!」
 返事を待つ余裕もなく、ルシェルの手をとって駆け出した。こういうとき、村中に悪名が知れ渡ってしまっているのは、損だと思う。



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