【第四章】昏き影、嗤う魔女、集う光
第三十六話 黒き翼が天を覆うとき、白き翼は地に降り立つ

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 一条の閃光が、空を貫いていた。その周縁に、幾つもの火球が開く。
「なんだ!?」
 流れ星じゃ――、ない。
 ややあってから、大気を打ち破るような爆発音が轟いてきた。宙に開いた火球の数だけ連なった轟音が空を震わせる。
 上空を引き裂いていったそれは雷光のように見えたが……、ただの雷であるとも思えなかった。どこまでも真っ直ぐに伸びてゆく、寒々しい色をした光だ。
 また、閃光が奔った。瞬時に大気を白熱させた光が、今度は海原に突き刺さる。遥か遠方の洋上に巨大な爆光が生まれ、ごそっと持ち上げられた大量の海水が奔波(ほんぱ)となって四囲に拡がってゆく。
「魔法……!?」
 海と空で繰り広げられる光の狂演に目を瞠(みは)ったルシェルが呟き、アストは戦慄した。 
「あれが魔法なのか!? あんなのがこっちにきたら一たまりもないぞ!?」
「私にもよくわかりません。ですが、帝都を襲った魔女なら、あれくらいのことは――」
 そこで唇を閉ざしたルシェルの瞳に戦意が篭り、無数の火球が生まれ続ける上空を睨み据えた。
「レニヤ!」
 魔女の名を叫んだルシェルの手が、固く握り締められた。強張ったその身体が、微かに震えている。
「じゃあやっぱり、さっき助けた魔女は悪い魔女だったのか!?」
 上空から降り注ぐ雪はいまだ止(や)まず、なおも勢いを増しているようだった。火球となって散った光の破片が空を埋め尽くし、地表へ降り注いでいるのだ。
 また、上空で火球が膨らむ。その、さらに上。爆発を飛び越えるように飛翔する黒影の群れが見えた。一度大きく旋回した影の一群が、こちらへ向って真っ直ぐに飛んでくる。
「なんか、鳥みたいなのがこっちに来るぞ!?」
『いや、鳥ではござらぬな。あれは、翼を生やした異形(いぎょう)――、としか申せぬ』
 アヤノには、遥か彼方から飛来する黒影の正体が見えているようだった。
「異形!?」
 アストが聞き返す間に、「翼を生やした異形」の群れが迫っていた。暗い色をした蜥蜴(とかげ)らしき頭部に、血のような光を宿した赤眼が瞬(またた)く。黒鋼(くろがね)と見紛うような身体には蛇の頭が付いた尾が生えており、異様なほど盛り上がった筋肉の鎧が全身を覆っていた。
 その背中には、力強く羽搏(はばた)き続ける一対の黒翼。
「化け物じゃないか!?」
 アストの叫びを肯定するように、化け物の口が開かれた。同時に、耳を劈(つんざ)くような絶叫が放たれる。狂気に満ちた音の暴力が大気を震わせ、海を割った。
 波頭を砕きながら直進する不可視の衝撃波が、アストたちが立っている岩場に激突する。
「うわあっ!?」
 砕け散る岩。土砂。波。
 空高く浮き上がった身体が岩場に叩きつけられる――直前に、くるりと舞って降り立った。アヤノに身体を操られたのだろうか。
 助かった、と思ったのも束の間。
 足下に、赤黒く染まった物体がばらばらと落ちてきた。
 魚だ。
 大小の魚がずたずたに引き裂かれ、口から浮き袋を吐き出し、目から血の涙を流して、死んでいる。
『あの奇怪な音にやられたのでござるな』
 頭の後ろから、アヤノの声が聞こえた。いつの間にか、両方の耳が彼女の手で塞がれていたようだ。
「こんな風に、死ぬのか……!? ルシェルさんは――うわっ!?」
「走りましょう!」
 ルシェルに手を取られ、駆け出していた。
 アストたちが今までいたところへ、先ほどの洋上の爆発によって生じた大波が覆い被さる。
「ここまで波が来るのかよ!?」
『もっと必死躍起(ひっちゃき)になって駆けなされ!』
 アヤノが話す言葉には、たまによくわからない方言のようなものが混じっている。
「走ってるだろ! ――なんでルシェルさんはあんなに速いんだ!?」
 頭にしがみついているアヤノへ怒鳴り返しながら、岩場を跳ぶように駆けてゆくルシェルの後を追いかける。
 彼女の姿が、隠れ場の丘へ続く林に入ったところで振り返った。
「アストさん急いで! 後ろからまた来ます!」
「えぇっ――おわっ!?」
 ルシェルの言葉が気になって後方を確かめようとしたが、足が岩肌を滑って体勢を崩した。
『よそ見はしなさるな!』
「わかってるから、髪引っ張んないでくれよ!」
 口答えする間にも足下に激震が奔り、吹き飛んだ小石が腕や背中に当たった。
「そろそろ当たりそうだぞ!?」
「アストさん! 早く!」
 よろめきながら、ルシェルとともに林の中へ逃げ込む。
 頭上を枝葉が覆い隠してくれるので、狙い撃ちにされる心配はないはずだった。
 しかし、断続的に続く爆発がアストたちを追い込む状況は変わらない。
 息を弾ませながら林を抜けた。すぐに、頭上が暗くなる。
 目の前に、翼の生えた黒影が舞い降りた。
「先回りされたのか!?」
 背筋が凍りつく。今は、アストもルシェルも丸腰なのだ。一方の化け物は、両手の鉤爪(かぎつめ)も、口中に生え揃った牙も、人の命を奪うには十分すぎるものに見えた。
「ど、どうする……!?」
 アヤノに稽古道具を出してもらったとしても、あの竹刀や木刀が怪物相手に通用するのか不安なところだ。
『――刀ならここにござる!』
 アヤノが飛び出した。
 疾風のごとき速さで化け物の眼前へ迫ったアヤノが、相手の頭部に手刀を叩きつける。瞬時に、化け物の頭が二つに割れた。どす黒い血しぶきを噴き上げた化け物の身体が、仰(の)け反(ぞ)るように後ろへ倒れる。鋭い刃物で開いたかのような切り口が、胸の中ほどまで達していた。
「やった――けど、なにをやったんだ!?」
 宙を漂っているアヤノがこちらを向いた。
『異なことを申されるな。拙者は《桜女(サクラメ)》でござるぞ?』
「そうだ!? アヤノさんって、刀だった!」
『左様』
 空の上には、五体の化け物が旋回していた。
『これしきの雑魚でござれば、息の根を断つのにさして力は要らぬ。手早く片付けて家路(いえじ)を急ぐでござるよ』
「あれで、雑魚なのか?」
『雑魚でござるな』
 アヤノが言うからにはそうなのだろうが、彼女が言う雑魚の基準がよくわからない。五体の化け物たちは、宙を旋回しながらアストたちの様子を観察しているようだった。仲間が倒されたのを目の当たりにして、慎重になっているのかもしれない。
『空の上は安全と思っているようでござるが、生憎(あいにく)と、拙者らはおぬしらとの遊びにかまけている暇はござらぬ』
 アヤノがアストの肩に足をかけ、跳んだ。弓弦(ゆづる)から放たれた矢のような勢いで上昇した彼女は、奇怪な音波を発しようとした一体の口へ突っ込んだ。そのまま後頭部を突き破る。その時既に、アヤノの身体は本来の大きさに戻っていた。
 彼女の後方では別の一体が、地上のアストたちへ怪音波の狙いを定めようとしている。
『させぬよ!』
 アヤノの指先から、無数の《針》が放たれた。刃紋によって生成された、九十九(つくも)の針だ。全身に針と同じ数の風穴を穿たれた化け物が落下する。
 次々と仲間を屠ってゆく珍妙な童女へ向って、二体の化け物が挑みかかろうとしていた。
『――指、ひとつ!』
 左右の人差し指が、両脇から迫る化け物たちの額に触れたその瞬間。彼らの頭部が弾け飛んだ。
 アストとの稽古では、あんな風にやられなくてよかったと思う。
 最後に残った一体へ向って、アヤノが飛ぶ。やや離れたところに位置したその一体は、前方に魔力の防壁を展開していた。怪しく輝く左右の手の間には、不気味な紋様が練りこまれてゆく光の球が見える。
「魔法を撃たれるかもしれません!」
『承知した!』
 ルシェルが叫び、アヤノが応じた直後。
 魔力の弾丸が撃ち出された。
『当たらぬ!』
 滑るように弾道の下を潜り抜けたアヤノの背後で。
 弾が爆散した。
『ぬおっ!?』
 魔光の散弾。虚を突かれても尚、アヤノは変幻の身ごなしですべての咒弾を躱(かわ)しきった。
 しかし、飛び散った咒弾は地上にも降り注いでいる。
「やばっ――」
「アストさん!」
 ルシェルに押し倒されるように、林の中へ転がり込んだ。
 爆発に次ぐ爆発が、隠れ場の丘を激震させた。爆圧が山肌を抉(えぐ)り、熱波に曝(さら)された下生えが燃え始め、木々が火柱へと変わる。
「いててて……」
「ご無事ですか?」
「うん。助かったよ、ありがとう」
 ルシェルに起こされて立ち上がると、上空から縦一文字に切り裂かれた化け物が落下してきた。確かめるまでもなく、既に絶命しているようだ。
『とんだ最後っ屁でござったな』
 アヤノの姿がゆっくりと地上に降りてくる。
「屁で殺されたら堪ったもんじゃないよ」
『かような軽口を叩けるようなら、大した怪我はござらぬな』
「もうちょっと、自分の弟子を心配してくれてもいいんじゃないのか?」
 死にかけた分はアヤノに文句を言ってやろうかと思ったが、怪鳥(けちょう)のような啼声(ていせい)が遠くの空から響いてきたので、そちらに気を取られた。
「あいつら!? 村の方にも飛んでいくぞ!」
 頭上を仰ぎ見ると、数え切れぬほどの黒影が空を埋め尽くし、村の方へ押し寄せてゆく光景が拡がっていた。それどころか、村内では魔法の爆発と思しき光と音の狂騒が始まっている。
「ふざけんなよ! あっちには、マナミとおふくろがいるんだぞ!?」
 自分の家族が、化け物たちの手にかかって惨殺されるかもしれないという事態を想像した途端、胸底から這い上がってきた恐怖と憤激がアストの体内を灼熱させた。
『然(しか)らば、刀を執りに急ぎ戻らなければならぬな』
「くそ!」
 アストは走り出していた。
 空を飛ぶ化け物を相手に、どうやって戦いを挑めばよいのかはわからない。
 だが、あんな化け物の手によって、妹や、母や、村のみんなの命が惨(むご)たらしく引き裂かれてゆく想像は是認できなかった。
 マナミとおふくろが、さっきの魚みたいに殺されるというのか。
 あれが……、あんなものが、死か。
 あの化け物が悪魔であろうが、死神であろうが、大事な人たちに向って、あんな死を撒き散らそうとする者は、許せない。
 許してたまるものか。
 胸の奥で言い知れようのない怒りが弾ける。その烈しい情動に喚起された決然たる意思がアストの心を駆り立て、彼の四肢を衝(つ)き動かしているのだった。

       †

 なにが起こってしまったのだろうと思う。
 兄とルシェルさんが外出した後しばらくしてから、自分は母にお使いを頼まれたのだった。薬の調合が終わったので、村医者のラダルさんのところへ届けてくれと言われたのだ。預かった小さな薬壷の中には、流行り病に効く粉薬が入っていたらしい。昼を過ぎたあたりから霧が出ていたが、すぐに晴れたのでお使いの支障にはならなかった。
 家から診療所までは、歩いて半時足らずというところだ。
 ラダルさんから謝礼を受け取るときに、「これから寒い季節になるので、同じ薬をできるだけ多く作ってほしい」という言伝(ことづて)を預かってきた。
 その旨は母に伝えるとして、うちの兄にも、体調管理を気をつけるように言っておかなければならない。
 兄はいつもお腹を出して寝ているので、寒くなってくると、すぐに風邪を引くのだ。
 今日は、せっかくの休日だったのだから、家でお菓子を焼いてもよかったかもしれない。
 次の休みには、ルシェルさんにケーキの焼き方を教えて貰おうと思う。それまで、彼女が家に滞在していてくれるかはわからないけれど。
 ルシェルさんとケーキを焼いたら、兄は大喜びするのに違いない。
 うちの兄が、彼女のことをだいぶ意識しているのはわかっていた。
 何年も散らかり放題だった自室を見られるのが恥ずかしいと思ったのか、急に片づけや掃除を始めたりしているのだ。
 だから、普段から部屋の中を整頓する癖をつけておきなさいと言っているのに。
 この前なんか、裸の女の人が描いてある絵まで置きっぱなしになっていたし。
 あんな絵は、どこで買ってくるんだろう。
 兄が少しも貯金できないのは、ああいうものにお金を使ってばかりいるからに決まってるのだ。
 ……本当に、駄目な兄だった。

 そんなことを考えながら、歩いていたのだ。

 あの瞬間が訪れるまでは――

「……?」
 急に足下が暗くなったので、マナミは空を見上げた。
 また、天気が悪くなってきたのかもしれない。
 雨が降ってくるなら、急いで家に帰って洗濯物を取り込まなければならなかった。
 ルシェルさんが家にいるなら心配はないが、まだ外出先から戻っていないかもしれないし、母は薬の仕込みに熱中すると、それ以外のことには気が回らなくなってしまう。
 兄のことは、初めから当てにしていない。
 しかし、それ≠ヘ、雨雲などという可愛いものではなかった。
 蜥蜴(とかげ)のような顔をした人型の生き物、がこちらを見下ろしている。背には大気を叩きつけるように羽搏(はばた)く漆黒の翼が生えており、鋼鉄に似た重量感を持った鈍色(にびいろ)の身体を宙に浮かせていた。異常に発達した筋肉が盛り上がった両腕の先には、凶々(まがまが)しい光を放つ鉤爪が備えられており、微かに開かれた口には鋭利な牙がびっしりと生え揃っている。
 その姿は、聖堂や寺院の壁画に描かれていた怪物が、そのまま現実の世界へ飛び出してきたものだと思われた。
 悪魔。
 という言葉が頭の中を転がった。空の上には、その悪魔と同じ姿をした怪物たちが、陽光を妨げる嵐雲となって乱れ飛んでいる。
 そんな悪夢のような光景を目にしてからほんの一瞬、金縛りにでもあったかのように全身が硬直した。
 その次の瞬間には、遠くからやってきたらしい爆発音と地面の震動によって身体がぐらりと揺らいだ。怖い、と思ったが、手足が固まったわけではないとわかって、少しだけ冷静になれた。
 逃げなければ。
 そう思考すると同時に、身を翻して駆け始めていた。
 空を飛ぶような者たちから逃げられる気はしなかったが、襲われて殺されるまで素直に待ち続けているつもりはない。
 怪物が追いかけてきているかを確認する余裕はなかったものの、複数の通りを折れ曲がるように走った。逃げ惑うたくさんの村人たちと擦れ違う。マナミとは反対の方向に逃げてゆく人もいた。皆、どこに逃げればよいのかわからないのだ。
 時折、足下が揺れる。
 近くで爆発が起きているようだ。人びとが、お互いを呼び合う声も聞こえる。
 状況が、わからない。
 爆発、焔、悲鳴、爆発、絶叫、咆哮、声、声、声――
 途中から、誰かの叫び声が耳を塞いでいた。
 私の、声だ。
 叫んだところで、なにがどうなるわけでもない。
 それでも、身体の奥に渦巻く恐怖と惑乱が、勝手に口を衝いて出てくるのを止められなかった。
 逃げなければ。
 怪物たちのいない、安全などこかへ逃(のが)れなければ。
 このまま、村の外へ出た方がよいのだろうか。家へ戻ったところで、母が家族を探しに外へ出てしまったら、誰とも会えない可能性がある。兄は、どうしているのだろう。
 やはり頼りになるのは、兄と、母だった。
 兄は、自警団のオルグさんと違って格好良くはないけれど、界瘴が降りてきたあの日、マナミや、友人たちや、名前も知らない赤ちゃんを助けるために懸命に走り回っていたあの姿は、忘れていない。普段は駄目でも、やるときはやる兄なのだ。
 そんな兄を自警団に誘ってくれたオルグさんのことは好きだったが、あの日から、行方がわからなくなってしまった……。
「あ――!?」
 突然、前方に怪物の影が立ちふさがり、マナミは息を呑んだ。
 来た道を引き返そうとしたが、そちらにも一体の怪物が降下してくる。頭上にも、翼を広げた二体の怪物が滞空していた。
 囲まれてしまったようだ。
 どうすればよいのか、わからなくなった。手足が、竦(すく)む。
 なんとかして逃げる方法を見つけなければならないのに、もう駄目だ、助からない、という思考ばかりが頭の中を埋めてゆく。
 怪物たちが、徐々に包囲を狭めながら近づいてきた。
 自分は、どうやって、殺されるのだろう。
 身体をばらばらに引き裂かれて、怪物たちの餌にされてしまうのかもしれない。
 それは、痛いのだろうか。
 苦しいのだろうか。
 膝から崩れるように、地面へ座り込んでしまった。
「……あぁ……」
 悲鳴すら出てこない。掠れた息が漏れるだけだ。
 両腕で頭を抱え込み、目を瞑(つむ)る。
 もう、なにも考えたくない。なにも見たくない。
 心臓の鼓動が、恐怖のあまりひどく高鳴っているのがわかった。
 ――おにいちゃん、助けて……!
 心の中で叫んだところで、兄が現れるわけでないことはわかっていた。
 それでも、なにかに縋(すが)りつきたくなる衝動が抑えきれない。
 もう一度、心が叫びを上げそうになったとき、頭上から鈍い音が聞こえた。
 死を、覚悟する。
「…………」
 しかし、身体はなんともない。
 恐る恐る、目を開けた。
 そこには、透き通るような、白い翼。
 金色の髪を二つ結びにした、小さな女の子の背中が見えた。薄絹のような純白の短衣を着た女の子だ。その頭上には、神聖な力による加護を顕(あらわ)す光の環が見える。根元が透明な白い翼は、その女の子の背中から生えているようだ。
 いったいなにが、と考えかけた瞬間、女の子の前にいた怪物が天を仰ぐように倒れた。その胸に、大きな空洞が穿たれている。
 次の瞬間、女の子の姿が宙に翻った。
 清淡な光を纏った手足が弧を描く。上空にいた怪物の片方を蹴り飛ばし、もう一体には手刀を浴びせる。地上に残っていた怪物が大きく口を開き、彼女に向って奇怪な叫び声を発した。
 だが、届かない。
 女の子の右手から霊気の幕が拡がり、彼女自身だけではなく地上のマナミをも怪音波から防護する。
 一方の左手には、光の粒子を渦巻くようにして一本の短槍が姿を現そうとしていた。
「――光へ、還りなさい!」
 女の子が叫び、短槍が放たれた。箒星(ほうきぼし)のような光を棚引かせた槍の切っ尖が、怪物の胸を貫通する。
 その直後、怪物の身体にいくつかの裂け目が生まれ、烈しい光が溢れ出した。その光は裂け目をさらに押し拡げ、怪物の身体を雪のような結晶へと崩壊させてゆく。
 まだ止めを刺されていなかった二体の怪物が逃げるように飛び去っていったが、女の子は追わなかった。
 宙をふわりと漂った女の子が、マナミの前に降り立つ。
 この子は、何者なのだろう?
 その正体はわからないが、お伽話に聞く《天の神遣い》というのは、きっとこの子のような存在なのではないかと思えた。
「あの……」
 女の子が、声をかけてきた。
「お怪我は、ないですか?」
 怪物たちを蹴散らしているときの凛とした雰囲気とは異なって、たどたどしい話し方をする女の子だった。蒼い、大きな瞳が、おずおずとした様子でマナミの顔を見つめている。
「はい」
 肯きを返したマナミは、この子は敵になるような存在ではないらしいとわかって、安心した。
「それは、よかったです。それで、その……」
「?」
「あの、お姉ちゃんとは違うお姉ちゃんなんですけど、とあるお姉ちゃんを探すようにお姉ちゃんから言われてまして、そのお姉ちゃんがどこにいるのか、お姉ちゃんは知りませんか?」
「え?」
「ああ! だからそのお姉ちゃんというのは、お姉ちゃんのことではなくて、私のお姉ちゃんとも違うお姉ちゃんのことなんですけど、お姉ちゃんをお姉ちゃんって言うとお姉ちゃんになっちゃうからそのお姉ちゃんとは果たしてなんのお姉ちゃんになるのやら――ああっ! もう! なんて説明すればいいのかわかんないよう!」
 女の子の言っていることはよくわからないが、ひどく慌てて混乱していることはよくわかった。
「あの、落ち着いて! 落ち着いて、話しましょう」
「あ、はい……。うう……、だから、お姉ちゃんと一緒にいないの、不安だったのに……」
 女の子がぐずぐずと泣き始めてしまったので、困ったマナミは彼女の頭をそっと撫でてあげた。
「すみません……。私、こんな調子で、だいじょうぶなのでしょうか……?」
 そんなことを尋ねられたところで、マナミの方こそ不安に駆られてしまった。



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