【第四章】昏き影、嗤う魔女、集う光
第三十八話 荒ぶる大剣

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 まるで、小さな鬼神だ。
 角があるわけでも、牙が生えているわけでもなかったが、アヤノの戦いぶりはそれほどに苛烈なものだった。
 雲霞(うんか)のごとく押し寄せる怪物たちへ手刀を浴びせ、《針》を放ち、羽衣で打つ。
 また、三体の敵が瞬く間に倒された。
 行く手には怪物たちが続々と降下してくるが、立ち塞がったそばからアヤノに蹴散らされてゆく様は壮絶で、爽快ですらある。
 彼女のおかげで、アストやルシェルは特に戦う必要もなく走り続けることができた。ここまでくれば、家はもうすぐだ。
 しかし、アヤノがいくら倒したところで怪物たちの数が尽きることはない。
 今度は、十を超える数の怪物たちが一遍(いっぺん)に降りてきた。
『ええい! しびらっこい!』
 アヤノは、「しつこい」とか「面倒」とかいう意味らしい言葉を発すると、両腕を広げて、壁のように立ちはだかる怪物たちへ頭から突っ込んでいった。
 怪物たちが、一斉に口から火の玉を放つ。
『遅い遅い!』
 だが、空中で風車(かざぐるま)のように回転しながら、急激に上下左右へ蛇行するアヤノには掠りもしない。
『ほれほれ』
 それどころか、すれ違いざまに火の玉へちょっかいを出しているらしく、アヤノの手に触れられた火の玉は、すべてが軌道を変えて上へ打ち上げられているようだ。そして遥か上空を飛ぶ怪物たちの群れへ直撃して、爆発する。
 彼女がそこまで計算ずくでやっているのだとしたら恐ろしい限りだ。
 アヤノが、そのままの勢いで前方の敵へ突撃した――と見えた直後には、その後方へすり抜けていた。
 怪物たちの挙動が、止まる。
 アヤノが静かに地面へ降りた、その瞬間。
 身体の至るところから血を噴き上げた怪物たちが、幾つもの細片に砕けて崩れていった。
「す、すげぇ……」
『これでも、ほんの指先でつつく程度のことしか、しておらぬのでござるがな』
「化け物相手に手加減して、これなのか?」
 アストが驚くと、アヤノは首を左右に振った。
『拙者が本気で《力》を使い始めたら、その瞬間にアストどのが干涸(ひから)びてしまうではござらぬか』
「化け物じゃなくて、おれに加減してたのかよ」
『気が張っていて気づかぬのでござろうが、既に相当消耗しているはずでござるよ。刀を執ってからは、自らの手で戦いなされ』
「うん、わかった」
 アヤノの本気というのは、まだまだこんなものではないのだろう。
 となると、妖婆を消滅させたり、魔戦士の斬波を羽衣で退(しりぞ)けたりしたのも、強大な力の、ほんの一部のことなのだろうか?
 血肉の残骸と化した怪物たちを跳び越え、少し進んだところにあった十字路を右に曲がる。
 そこでようやく、自分の家が見えてきた。外に母や妹の姿はなかったが、ここから見た限り、怪物たちに襲われたような気配はない。
「間に合ったのか!? おふくろとマナミは……!?」
 家の中にいるなら、この声を聞いて外に出てきてほしいと思った。
「あっ!?」
 だがそのとき、路地に降下してきた一体の怪物が、アストの家に侵入していった。
「嘘だろ、あいつ!?」
『拙者に任せてくだされ!』
 アストが叫び、アヤノが飛び出そうとした直後。
 爆発的な金属音――、と共に飛び出してきた怪物の影が、向かいの石塀に叩きつけられた。その衝撃で崩れた石塀が怪物の身体を下敷きにする。
「な、なんだ!?」
 砂塵が朦々と舞い上がる中、大きな剣を担(かつ)いだ人影がアストたちの前に現れた。
「遅いぞ馬鹿息子。早く支度をしろ」
 母だ。
「おふくろ!? 無事だったのか?」
「見てのとおりだ」
「そんな剣、どっから引っ張り出してきたんだよ?」
 母が担いでいるのは、戦士オルグが振り回していたものと比べても負けず劣らずの豪壮な大剣だ。
「さっきの言葉が聞こえなかったのか? 私は早く支度をしろと言ったんだ。マナミを探しに行くぞ」
 母の言葉が終わらぬうちに、砂塵の中から怪物が飛び出してきた。
 大剣が、一閃される。
 頭から割られた怪物の骸が転がった。
「お前もこうなりたくなければ急げ」
 母は、冗談を言う人間ではない。
「あ、ああ! ルシェルさん、急ごう!」
「はい」
 アストとルシェルは階段を駆け上がってそれぞれの部屋に飛び込んだ。サクラメは、寝台の脇に立てかけてある。少々肌寒さを感じていたので、まずは外套を羽織ることにした。先日の祭りで着ていた外套だ。本来であれば、妖婆の櫓と一緒に神火で焼いて厄を祓うべきものだったが、異変の発生によって祭りは中断されてしまったし、その後も外套のことなど気にかけている余裕はなかった。でも、これを着たままあの日を生き延びることができたのだから、自分にとってはなかなかの縁起物なんじゃないかと思える。
 刀を帯へ突っ込むように差して外へ出ようとしたとき、ふと気になって、机の方を見た。その上に置かれていた、自警団の徽章(きしょう)が目に入る。親友の、兄の形見だ。
 アストは、徽章を手にして服の襟元に付けた。
 自警団を気取りたかったわけではない。
 きっとオルグさんも、村を護りたがっている。
 そんな気がしたのだ。
「アストさん!」
 剣を腰に佩いたルシェルが、部屋の入り口に立っていた。
「ごめん、すぐ行く」
『急ぎなされ。化け物たちがここらへ集まってくる気配がござるぞ』
 小さくなったアヤノが頭にしがみついてきた。
「そうなのか? あいつら、なにが目的なんだ?」
 階段を下りて外へ向う。
 母は、大剣を地に衝き立てたまま、家の前で仁王立ちしていた。
「来たか。では行くぞ」
 母が大剣を担ぎ直して駆け始めたので、後を追う。
「マナミはどこにいるんだ?」
「お前たちが外出した後、ラダルさんのところへ使いに出してしまったんだ」
 母の顔には幾分の後悔の色が見て取れた。
「じゃあ、まだその辺りにいるのか?」
「恐らくな。この状況では、一人で動き回ることもできないはずだ」
 推測というよりは、希望が入り混じった答えだと思った。家に帰ろうと焦ったマナミが、無闇に動き回って怪物たちと遭遇している可能性だって、あるはずなのだ。でも、もしそんなことになっていたら――
『上から来てござるぞ!』
 アヤノに髪を引っ張られ、首を上に向けた。
 幾つもの黒い影が、アストたちを目がけて急降下してくる。
「なんだっ!?」
 慌てて後ろへ飛び退(の)いた。怪物たちが次から次へと降りてくるので、さらに距離を取る。
 彼らが仕掛けてきたのは、アストたちがちょうど丁字路に差しかかった地点だった。
『一人ひとりを孤立させる気でござるな』
「そういうことか!?」
 ルシェルも母も、それぞれ違う方向に退避したのはわかっていた。
 早く合流したいところだったが、背中の方にも怪物たちの一隊が降りてきたので、その相手もしなければならない。
「どうすればいいんだ……?」
『ルシェルどのも御母堂も、そう簡単にやられたりはせぬよ。まずは、こやつらを片付けるのに専念するべきでござるな』
「わかった」
 アストは、サクラメの鯉口を切った。
 刀を鞘走らせる前に、怪物たちが襲いかかってくる。
「うわっ!?」
 地面へ身を投げ出すように転がった。身体のすぐ近くを鉤爪が掠める。
「刀抜いてないんだからちょっと待てって!?」
『わざわざ抜くのを待つ敵はござらぬよ』
 転がりながら、刀を抜いた。しかし、ここからどうすればいいのかわからない。頭の中が真っ白になっていて、とても稽古で習った技術など思い出せそうになかった。
『右へ払う』
 アヤノに言われるまま、刀を振るった。鮮血を棚引かせながら、怪物の腕が飛んでゆく。
『身体を起こして、すぐに駆け足』
「えっ!? 駆け足!?」
 慌てふためきながらも実行すると、真横から来た怪物の突進を躱していた。
『反転。刀を袈裟に』
 振り向き、刀を袈裟に斬り下ろす。肩口や胸から黒い血を噴き上げた怪物が倒れた。
「うはっ!?」
『そのまま飛び退く』
 返り血から逃げるように飛び退くと、攻撃を空振りした怪物を正面に捉えた。
『懐へ飛び込む。刀は低く』
「だいじょうぶなのか!?」
 言われたとおり、姿勢を低くしながら怪物の懐へ飛び込んだ。繰り出された鉤爪が空を切る。その位置から水平に払った刀が、怪物の腹を割った。
『すぐに左へ。塀に刀を一振り』
「どうしてさ!?」
 刀を振ると、ちょうど塀を破るように飛び出してきた怪物の面を捕らえた。
『前に転がりなされ』
「だからなんで!?」
 前方へ転がると、背後で爆発が起きた。火の玉か、それともなにかの魔法なのかは、わからない。
『起きながら、刀を地摺(じず)りに』
「地摺り?」
 サクラメの切っ尖が地を摺る。
『切っ尖を、下から上へ』
 刀を振り上げると、上空から降りてきた怪物を迎撃する恰好になった。
「なんでできちゃうんだ!?」
『後ろへ一歩。背を合わせる』
「なにと!?」
 尋ねると同時に背中に当たるものがあったので、アストは冷やりとした。
「ご無事でしたか?」
 この修羅場に似つかわしくない、清涼感のある声が耳に飛び込んできた。
「ルシェルさんか!?」
「はい」
 さっき当たったのは、彼女の背中だったみたいだ。
 二人一緒なら、怪物たちの攻囲を破って母のもとへ向かうことができると思えた。
『では、御母堂のもとへ急ぎなされ。アストどのはルシェルどのの邪魔をせぬよう、あまりべたべたとくっつかぬように』
「わかってるよ!」
 なにも殊更に言わなくたっていいじゃないかと思う。
 怪物たちの群れを突っ切るように、母のもとへ向った。
 伝説の聖女様の血を引くだけあって、やはりルシェルの剣技は凄まじい。
 アストが一体の怪物を相手にしている間に、二体、三体と続けざまに斬り倒してゆく。
 まだ彼女のように戦うことはできなかったが、だいぶ落ち着いて怪物たちと当たれるようになったのか、その動きが少しずつ見え始めてきた。
 見えてくると、怪物たちの挙動が、稽古時のアヤノに比べてよっぽど鈍間(のろま)であることに気づく。ついさっきまでは、鋭い牙や爪を目前にして縮み上がった心が、見ること≠怖がっていただけなのだ。
「今度は同時か!」
 前方から、二体の怪物が接近していた。 
 どうする?
 アストは、右側の敵の懐へ飛び込んでいた。右に構えた刀を、そのまま左へ。左側の敵も斬り払っていた。それぞれの胴が腰から離れる。
 ほう、とアヤノが呟いた。
 彼女は、今の戦い方には口を出さずに見守っていただけだ。
『道が、視えたのでござるな』
「道?」
『太刀の道でござるよ。刃筋を糺(ただ)し、刀は道へ沿わせるのみ。化け物二匹を両断するのに、さして力は要らなかったはずでござる』
「そう言われてみれば、嘘みたいに刀が奔ってったような気はするけど……」
 あまり実感はなかった。そんな道筋が眼に視えた覚えはない。刀を、最も奔らせやすいところ≠ヨ運べた。そういう感覚があるだけだ。無我夢中で刀を振り回したら、そうなった、としか言いようがない。
「今の、どうやったんだ?」
『考えるのは後にしなされ。次が来てござるぞ』
「え!?」
 左から接近されていた。慌てて体勢が仰け反る。しかし、左手一つに持ち替えた刀が怪物へ逆撃を浴びせた。
 その口から、赤く染まったなにかが吐き出される。
 腕だ。
 人の、腕だ。
「こいつ、人を!?」
 それは、やや太い男の腕に見えた。それが誰なのかはわからない。しかし、誰かが怪物に食われたことは、事実に違いなかった。
『心を鎮めなされ。怒りで己を見失った剣は、敗(やぶ)るるのみにござるぞ』
「こんなの見せられて、鎮まるわけないだろ!」
 アストは、先ほど仕留め損ねた怪物へ斬りかかった。
 袈裟に斬り下ろす。急に硬い手応え。刀が、胴の真ん中で、止まった。
「抜けない!? 途中で止まった!?」
『道を違(たが)えたのでござるよ!』
「そんな!?」
 ぞっとした。この瞬間に襲われたら、一たまりもない。
 両脚を突っ張るように後ろへ引いて、なんとか刀が抜けた。
「いてっ!?」
 そのまま尻餅をつく。
 そこへ、新手の怪物が覆い被さってきた。
「うわあぁぁぁっ!?」
 破れかぶれに刀を突き出す。だがその前に、怪物の身体が二つに割れた。
「早く立ってください!」
 ルシェルに腕を引かれて、立ち上がった。
「助かった……、ありがとう」
『アストどの。心を鎮めろという意味は、おわかり頂けたでござるか?』
「わかったよ。今ので頭が冷えた」
『それでようござる。怒りや力みに任せるだけでは、敵は斬れぬ』
 さっきの自分はそうなっていたから、太刀筋を間違えたのだろうか。敵を斬るのに、もっとも適当と視えるところへ刀を運ぶ。その感覚は、これから徐々に掴んでいくしかなさそうだった。今ここで考え込んだところで、それ以上のことはわかりそうにない。
「あれか?」
 今度こそ冷静に怪物たちを仕留めてゆくと、母の姿が見えてきた。
 敵の数を減らしながらじりじりと後退しているようだが、怪物たちの圧力に押されているようにも見える。
「加勢するぞ!」
 叫んだ直後、怪物たちが母へ向って一斉に魔力の光弾を放つのが見えた。
「ああっ!?」
 一足遅かったのか。命中と同時に拡がった爆光が、母の姿を瞬時に覆い尽くす。
 だが、その一瞬後。
 爆光が、割れた。
 衝撃波、と見えるものが魔法の爆発を突き破るように現れ、怪物たちを薙ぎ倒してゆく。
『上でござるな』
「上?」
 アヤノの言葉に釣られて視界を上に向けると、空高く跳び上がっている母の姿が見えた。大剣が、振り下ろされる。衝撃波の直撃を免れた最後の一体を切り伏せた。
「お、おふくろ……?」
 なにか、信じられないものを見てしまったような気がした。
「なんだお前は。今さらノコノコ現れても遅すぎるぞ」
 一つだけ息をついた母は、どすっ、と大剣を地に衝き刺した。
「心配してたのに、なんだってことはないだろ」
 とりあえず、母が大して怪我を負っていなかったようなので安心する。
 地に衝き立てられている大剣が、淡い蒼光を帯びているのが気になった。
「その剣、なんなんだ?」
「これか? 私にもよくわからん」
「へ?」
「こいつは《風哭(かぜなき)の剣》といって、だいぶ前に隣村の村長(むらおさ)から譲り受けたものだ。詳しい経緯(いきさつ)は知らないが、怪しげな行商がこいつを持ってきて、《昏き時代》に造られた《神術兵器》の一つだとか言うので、骨董に手を出すつもりで買ってしまったらしい。……まぁ、曰くありげに適当なことを吐(ぬ)かして紛い物を売りつけるのは、よくある手口だ」
「でもそれ、本物だったんじゃないのか?」
 紛い物に、数発分の魔法を吹き飛ばすような衝撃波が出せるものかと思う。
「そういうことになるな」
「そういうことって……。なんで、おふくろはそんな剣を譲られたんだよ」
「あそこの村長が茸(きのこ)の毒に当たったというから、毒消しを処方してやったんだ。それで一命を取り留めることができたので、ぜひお礼がしたいといって、こいつを寄越されたというわけだ」
 母の視線が大剣に注がれる。剣身が発していた蒼光は、もう収まっていた。
「しかし、このガラクタが物の役に立ってよかった。並の剣では、あんな化け物ども相手に歯が立ちそうにないしな」
「まぁ、よかったといえばそうかもしれないけど」
 母が本当にそう思っているんだったら、「ガラクタ」という言い方は酷いんじゃないかという気がしなくもない。
「二人とも息は整っているな。また走るぞ」
 母は大剣を担ぐとすぐに走り始めた。その後を追いながらも、あんなに重たそうな剣を担ぎながら、よく走れるものだと思う。
 診療所へ使いに出されたという妹の姿は、まだ見えてこなかった。



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