【第四章】昏き影、嗤う魔女、集う光
第四十三話 《犬小屋》での会談

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「うわ……」 
 黒い絨毯の中に、足が沈みそうになった。
『犬の毛皮でござるな』
「うん」
 しかも、見た目から想像される以上にふかふか≠オている。
 足下の柔らかさに驚きながら中を見回すと、この黒い毛皮が床から天井までを余すところなく覆っているのがわかった。
「中はどのようになっていますか?」
 犬の脇腹に開いた出入り口の外から、様子を窺うようなルシェルの声が聞こえてきた。
「やたらふかふかしてて歩きにくいけど、入っても大丈夫そうだよ」
 内部の安全を確認したアストは、外で待っているルシェルと母の方へ振り返った。
 魔女と犬使いの少年――という奇妙な二人組を信用すると決めた彼らは、《犬小屋》の中へ入ってみることにしたのだ。
「慣れないうちは落ち着かないかもしれないけど、我慢してね」
 先に入っていた魔女が、連れ合いの少年――エリウスを奥の方にある寝台へ寝かせている。寝台といっても、人が寝られる程度に黒い毛皮が盛り上がったスペースがそこにあるだけだ。
 部屋の中央には木製のテーブルがあり、寝台と思われるもの≠フ脇には小さな机やチェストなども置いてある。これらの家具調度の類は外から運び込まれたものなのだろうか。やや古びたテーブルの上には取っ手の付いた角灯が一つ置かれていて、その中に揺らめく蝋燭の灯りが室内を満たしている。
「みんな、中に入った?」
 振り返った魔女の黒髪が、濡れ羽のような艶やかな光を帯びて宙に靡いた。肩に羽織った紫紺のケープが緩やかに踊り、細くしなやかな指先が頬にかかった後れ毛を掻き退(の)ける。こちらへ向けられた鮮やかな紫色の双瞳には、生来のものと思われる気の強さと心なしかの愛敬が宿っていた。淡い蜜色の細面(ほそおもて)に朱鷺色(ときいろ)の唇が華を添え、少女らしからぬ妖艶な美を醸し出している。尖り気味の眉目が若干攻撃的な印象だが、アストの嫌いな顔立ちではない。
 空気を孕むように膨らんでいる紫紺のケープは金色のフィブラで留められており、その下にはケープと同系色のチュニックが重ねられていた。いかにもそれらしく杖や箒を手にしているわけではないにしても、頭につばの広い三角帽子を被ったその姿は、やはり魔女という他はないだろう。
 彼女の身なりを一通り確認し終えたアストは、胸はルシェルの方が大きそうだ、と率直な感想を結んだ。
「じゃあ、適当に席について」
 魔女に着席を促されたが、椅子はテーブルを挟むように一脚ずつ置いてあるだけで、人数分には足りない。
「――って言っても、椅子が足りないわね。エリウス、なんとかしなさい」
「わかってるよ。ジェド、頼む」
寝台と思われるもの≠ノ寝転がっているエリウスが一声かけると、床の黒い毛皮がもこもこと競り上がってきて、背もたれの付いた椅子と思われるもの≠フ形を取った。椅子の数が足りないので、これに座れということなのだろう。
「おれはこっちでいいよ」
 木製の椅子をルシェルに譲ったアストは、テーブルの近くに浮き上がってきた椅子と思われるもの≠ノ腰を下ろしてみた。毛皮の中に身体が半分ほど沈んだが、座り心地は悪くない。
「悪くないけど、犬の毛がいっぱいつきそうだな」
「つくわよ。こっちの椅子に座ってたって、服が毛だらけにされちゃうんだから」
 魔女が木の椅子に座っているところを見ると、彼女が犬の毛を嫌がっていることは察せられた。先ほどからこの部屋にいたというユータはすんなりと毛皮の椅子に納まったが、母は「私はいい」と言って壁際に立ったままだ。普段から野山を歩き回っている母が、犬の毛が衣服に付くことを嫌がっているわけはないにしても、素性の知れぬ魔女たちを警戒する気持ちが強くあるのだろう。
「すぐにお話を始めたいところなんだけど、ちょっと飲み物を用意するわね。必死になって魔法撃ってたから、すっかり喉が渇いちゃったのよ」
 魔女は頭に被っていた三角帽子を脱ぐと、その中に手を入れて探り回すような素振りを見せた。彼女が帽子から手を引き抜くたびに、木製のカップや編み上げの藁細工で包まれた遮光瓶が現れて、次々とテーブルの上に並べられてゆく。
「冷たいのでいい? それとも、お茶のほうがよかった?」
「別になんでもいいけど、その帽子、どうなってるんだ?」
「ただの帽子よ。中が異空間にある《家》と繋がってるだけ」
 魔女は簡単に説明したつもりかもしれないが、アストにはすんなりと理解できる言葉ではなかった。
「異空間――なんてものと繋がってるのが、ただの帽子なのか?」
「帽子自体は普通なの。異空間と繋がってるのは、あたしの力のおかげ」
「それも魔法ってやつ?」
「そういうこと」
 異空間というのがなんなのか全く想像できなかったものの、魔女が説明を打ち切ってカップに飲み物を注(つ)ぎ始めたので、あまりしつこく尋ねるのはやめることにした。
「お客さんを迎える用意なんてしてなかったからカップが不揃いだけど、好きなの適当に選んで」
「なんだこれ?」
 手前に置かれたカップを覗き込むと、無色透明の液体が見えた。一瞬ただの水かと思ったが、鼻を少し近づけてみると、果物のような仄かに甘い香りが漂ってくる。
「魔女が注いだものを飲むのは不安?」
「そうだな」
 アストは正直に答えたが、魔女はくすりと笑っただけで機嫌を悪くしたようには見えなかった。
「これは疲労回復とか、滋養強壮や気付けに効果のあるものを色々混ぜて作った特製の水薬なのよ。消耗した力≠いくらか補うために出したものだから、そんなに警戒する必要はないわ」
「警戒するなったって……」
 もう一度透明の液体を覗き込んでみた。果物の絞り汁に薬草の煮汁を合わせたものなのだろうが、魔女が「色々混ぜた」という材料の内訳が気になるところだ。
 出されたものを飲むべきか躊躇していると、テーブルの上まで降りていったアヤノがカップの中へ首を突っ込むようにして、くんくん、と匂いを嗅いでいた。
『毒は入っておらぬようでござるが』
 ――わかるのか?
『身体(しんたい)に害を為すものは、自(おの)ずから毒気を発するものでござるよ』
 ――そう言われても、おれにはちっともわからないんだけど。
 アヤノに実体を持たせて先に飲んで貰う、という手も使えそうな気がしたが、ここは彼女の言葉を信じて自分で飲んでみることにした。
「……?」
 なにかの果物のようで、知っているどの果物にも当てはまらない、不思議な味がする。強いて言えば、無花果(いちじく)に近いかもしれない。しかし、薬という言葉から想像されるような苦味はなく、思っていたよりは甘くて飲みやすい。
「薬っていう割には、意外と飲みやすいんだな。よく冷えてるし」
「ほんとだ」というユータの声が続いたが、ルシェルや母が飲み物に手をつける様子はなかった。
「咒紋を貼った冷蔵庫に入れてたんだから、冷えてるのは当然よ」
「咒紋?」
 魔女の口から、アストの知らない言葉が出てきた。呪(まじな)いに使う紋章とか、紋様みたいなものがあるのだろうか。それなら、先ほど村の至るところに顕れた紋様が、その咒紋というやつなのかもしれない。
「知らなかったなら言い直すわ。魔法で冷やしてたの」
「そういうこともできるのか?」
「できるわよ。あたしに言わせれば、自分の生活を便利にできない魔法には意味がないのよ」
 魔女はそう言いながら、水薬の入ったカップをぐいっと呷(あお)った。
「まぁ、悪いことに使われるよりはいいかもしれないけど」
 魔法で氷室(ひむろ)のような貯蔵庫を作って、そこに食料をしまっておくことができるのなら、腐らずに長持ちして便利かもしれない。
「それより、早く話を始めてくれないか?」
「あなたってせっかちなのね。これから長丁場になりそうなんだし、休めるときに休んでおかないと身体が保(も)たないんじゃない?」
「こんな状況で暢気(のんき)に休んでられないだろ。早く妹を探さないといけないし、オレスのことだってなんとかしないと」
「あぁ、そうだったわね。エリウス、犬はもう動かせる?」
 魔女が寝台の方を見遣ると、エリウスは微かに肯くような仕種を見せた。
「うん。ジェドの方はとっくに回復してるから問題ないよ。それで、妹さんはどの辺にいるの?」
「村医者のところに使いで出されてたんだ。この道をまっすぐ行ったところに診療所があるんだけど、今もそこにいるかどうかはわかんない」
「じゃあ、最初はその診療所に向かって、見つからなかったら周りを探してみる?」
「ああ、それでお願いするよ」
「わかった。ジェド、出発して」
 エリウスの掛け声へ応じるように出入り口が閉じ、床が僅かに持ち上がるような感触が足下から伝わってきた。《犬小屋》が動き始めたようだ。駆けるというよりは地を這うように前進しているらしく、内部に伝わってくる揺れや振動はそれほど酷いものではない。
「匂いがわかればもっと楽に探せるんだけど、とりあえず、《覗き窓》で外を見えるようにしておいて」
 その指示が出された直後には四方の壁に大きな窓枠が現れ、外の風景が見えるようになった。
「覗き窓って割にはずいぶんでかいな」
「こっちからは外が見えるけど、向こうからは中が見えないようになっているんだ」
「そうなのか?」
 エリウスの説明を聞きながら、これもそういう魔法なのかと思った。ともかく、外の様子が見えるようになったのはありがたい。
 村の中心部に近いこの辺りは民家が軒を連ねた集村らしい景色が拡がっているが、もっと先へ進むと集落は道路沿いに幾つか点在する程度になり、刈り入れの終わった田畑や雑木林が目に付くもののほとんどとなる。ラダルという村医者が開いた診療所は、さらにその先の丘の上にあった。人から人へ移る病気もあるため、その手の病に罹(かか)った患者を預かるには、人里から少し離れたところに診療所を建てる必要があったのかもしれない。
「あなたの妹さんを探すのは協力してあげるけど、あまり大きな期待はしないでね」
「どういう意味だよ?」
 魔女の言葉つきが気に障ったので、やや険のある声で返事をしていた。
「この状況、見ればわかるでしょ」
 彼女が呟くように応えたのと同時に、ざわ、とした感触がアストの肌を粟立たせた。《覗き窓》から周囲の様子を窺う。
 家々の陰から、こちらを覗いている幾つもの視線を感じた。また怪物たちが襲ってくるのか。そう考えた直後には、屋根上や屋敷林の間から黒い人影が続々と現れ、《犬小屋》の周りを取り囲んだ。
 彼らの正体を認めたとき、アストは戦慄した。
 村人たちだ。
 その誰もが、煤のように黒ずんだ顔をし、血走った眼をこちらに向けている。
「みんな……!? どうしちゃったの!?」
 椅子から立ち上がったユータが、窓のすぐ傍まで駆け寄った。
「オレスと、同じだ」
 呟いたアストは、突然襲いかかってきた親友の姿と声を思い出し、肩が震えそうになった。
 村中の人びとが、彼と同じ悪魔憑きのような状態になってしまったのだろうか?
 ということは――
「まさか、おれの妹も、こうなってるって言うのか?」
「可能性はあるわね」
 涼やかに答えた魔女は、窓外に向けていた視線をこちらに戻した。
「そんな――」
 絶句した瞬間、周りを取り囲む気配が、刃物のような鋭さをもって肌に突き刺さるのを感じた。悪魔的な力に取り憑かれた人びとの群れが、《犬小屋》に向かって一斉に飛びかかってくる。彼らが口元に牙を剥き、長く鋭い爪を振りかざす姿をアストは見てしまった。
「とりあえず、逃げるよ!」
 エリウスの声が終わらぬうちに、《犬小屋》が宙に浮き上がった。
「うわっ!?」
 体勢を崩したユータが反対側の窓の方へ転がってゆく。中空に踊り上がった《犬小屋》が、家々の屋根を渡り飛ぶようにして、悪鬼のごとき異相と化した人びとの包囲を脱け出した。《犬小屋》となっている黒犬が跳躍したのはすぐに理解できたものの、こんな巨体になっても運動能力が全く損なわれていないというのが驚きだ。一跳びごとに路地や屋根、木立の上へと移りながら、悪魔憑きとなった人びとの襲撃を躱してひた走る。
「どうするつもりなんだ?」
 魔女の方を振り向くと、宙に浮いていたすべてのカップがゆっくりとテーブルの上に降りていくのが見えた。中身が零れないように、魔法で空中に浮かせていたらしい。
「だから、お話をしてこれからのことを決めましょうって言ってるのよ」
「決まってるだろ! みんなを元に戻すんだよ!」
 お話だなんてふざけたことを言ってる場合か、と一気に捲し立ててしまいそうになるのをこらえながら、魔女の顔を睨みつけた。
「それはあなたたちの都合でしょう? あたしはさっさと逃げ出したいところなんだけど――」
「僕は残るよ」
 寝台に寝ていたエリウスが、片手で頭を抑えながら上体を起こした。
「相棒がこう言って聞かないから困ってるのよね。そのざまでなにができるっていうのよ」
「僕はまだ戦えるよ」
「死にかけたばっかりのくせに、言うことだけはいっちょ前なんだから」
「村の人たちを、このままにしてはおけないでしょ」
「そうだけど! もしここであの女≠ェ出てきたら、みんな殺されちゃうわよ!」
 束の間相棒と睨み合った魔女は、アストたちにも同様の視線を向けてきた。
「あんたたちだって、あいつの恐ろしさは知ってるんでしょ!?」
「あいつって、帝都を襲ったっていう魔女のことか?」
「そうよ!」
「おれは話に聞いただけだから、よく知らないんだけど」
 返事に詰まったアストがルシェルの方へ視線を移すと、ひどく強張っている彼女の横顔が見えた。その膝の上では、雪花のように白い手が固く握り締められている。
 心持ち俯いていた顔を上げたルシェルは、彼女らしい強い光を瞳に取り戻してから魔女へ向き直った。
「あなたとレニヤは、どういう関係なの?」 
 率直な、しかし幾分かの不信が篭められた質問を受けた魔女は、「それ、どういう意味?」と、不快げに眉目を尖らせてから言葉を継いだ。
「あなたの目には、魔女がみんな仲の良いお友達同士に見えるのかしら」
「そういうわけじゃないけど」
「だったら、くだらない質問をしないでくれる? ……まぁ、あんな冷血女と仲間だと思われるのも癪だから、一つだけ言っておくわ。あいつは、あたしとエリウスが住んでた村を滅ぼしたのよ」
「それなら、彼女に恨みを持ってるの?」
「当然でしょ。誰のおかげで、あたしたちがこんなところまで旅をしてこなきゃならなくなったと思ってるの」
 その言葉が真実であるかどうかはともかく、彼女たちが旅をしている説明にはなっていると思えた。レニヤという魔女による襲撃を受けたという点においては、ルシェルとこの少女は似たような境遇なのかもしれない。
 でもそれなら、この村も彼女たちの故郷と同様に滅ぼされてしまうのだろうか?
 不意にそんな想像が脳裡に浮かんできて、アストの心を縮み上がらせた。
「嫌なことを訊いてしまったのなら、ごめんなさい」
 侘びを口にしたルシェルが「でも、もう一つだけ答えて」と続けると、魔女は顔に苛立ちの名残を留めながらも「いいわよ」と応じた。
「あなたは、この村を襲っているのがレニヤだという確信を持っているの?」
「さあ? 確信なんてものはないけど、嫌な予感がするのよ。最初は祇徒の大軍が襲ってきただけだと思ってたけど、その祇徒たちを利用してこれだけ大規模な降魔儀式を行える術者が、そんなにいるわけないんだから」
 空のカップを一つ手に取った魔女は、起き上がったエリウスにも先ほどの水薬を注いで渡していた。
「あんな化け物に人間が勝てるわけないわ。七英戦争のときは、ルシエラに深傷(ふかで)を負わされて逃げ出したっていうけど、神剣を持った聖女様でも味方につけない限りは百回戦っても勝ち目がないでしょうね」
「ルシエラ?」
 アストは思わず呟いていた。
「あの戦争で、ヴェルトリアを勝利に導いた女剣士の名前よ。元々はヴェスティールの三女神を祀る巫女だったんだけど、ヴェルトリアが枉人(まがびと)の軍勢に攻め込まれて滅ぼされそうになったときに、天啓を受けて神剣を授かったらしいのよね。それからは戦女神の化身みたいになって敵軍を死体の山に変えたって話よ。……確かグラード地方では、イゼレバ――っていう名前で呼ばれてたはずね」
「それは、聞いたことあるけど」
 隣席に座ったルシェルの様子を窺おうとしたのだが、「あ、そうそう」と魔女の言葉が続いたので、再び正面に視線を戻さなければならなかった。
「名前っていえば、お互いの名前をまだ聞いてなかったんじゃないかしら」
「そう言われてみれば、そうだな」
 彼女に指摘されるまで特に不便を感じなかったのだから、互いの名前を知らなくても会話は成立するものだと思った。
「あたしはマリーシア。こっちは相棒のエリウス。で、そっちは?」
「おれはアスト。隣に座ってるのがルシェルさんで、こいつは友達のユータ。あと、後ろに立ってるのがおれのおふくろ」
 マリーシアのやり方に倣(なら)って、アストも手短に紹介を終えた。
「それと、ちっこい守り神さんが一名、ということね。よくわかったわ」
 魔女にはアヤノが視えているようだから説明の手間が省けた。ユータが不思議そうな顔をしてこちらを見ていたが、魔女との会話はヴェルトリアの言葉で行われているので、彼には内容がわからないはずだ。
「それにしても、ルシェルさん、だっけ?」
「ええ」
「あなたもしかして、家の名前は『フラウベル』っていうんじゃないでしょうね?」
 突然の問いかけに対して寸秒の沈黙を挟んだルシェルは、「……そうよ」と肯いた。
 その答えを聞いた瞬間、
「ホントに!?」
 と、マリーシアが飛び上がらんばかりの勢いでテーブルに身を乗り出してきた。
「それなら、あなたが当代の《斎女(いつきめ)》だっていうの!?」
「ええ」
「ウソでしょ!? いや! ホントよね!? ルシェルとルシエラって、名前が似てるからまさかとは思ったけど、本当に斎女だったなんて思わなかったわ! ということは、あなたが持ってるのが神剣なんでしょ!? それがあれば、あの憎たらしい冷血女を八つ裂きにしてやることができるじゃない!」
「それは……」
「やるべきよ! やってくれなきゃあたしが困るの! 是非おやりなさい!」
「そのつもりでは、いるけど……」
 マリーシアが有無を言わさぬ語勢で捲し立てるので、ルシェルはすっかりたじろいでしまったようだ。
「名前を聞いただけで、斎女の子孫だってわかるのか?」
「フラウベルという名が斎女の家系を示すなんてのは、常識よ!」
「そうなんだ」
 彼女の家名について深く考えたことはなかったが、いかにも聖女の血族らしい名だと思って、胸のうちで反芻(はんすう)した。
「――ああ! このまま死ぬまで惨めな逃亡の旅を続けなきゃいけないと思ってたのに、天はまだあたしたちを見捨てていなかったのね!」
 大仰な身振りを交えながら会話を押し進めた魔女は、「なら、いいわ!」と一旦言葉を切ってから、再び自分の席にどっかりと腰を下ろした。
「神域の叡智を操るには浅学にして非才の身なれど、善良な魔女たるこのあたしが、邪悪な魔女を討ち滅ぼすために立ち上がった勇者たちに力を貸してあげましょう!」
「調子のいい魔女だな」
 アストが呆れ加減に呟くと、マリーシアが、びしっ、と人差し指を突き出してきた。
「その代わり! もしあの女が出てきたら、二度と生き返れないようにバラバラに引き裂いてやってちょうだい!」
「自分の復讐を果たすのに、斎女の力が使えそうだから利用するっていうのか?」
 押し付けるような物言いに対して胸奥に生まれた反感を、言葉にしてしまった。
「そのとおりよ。でもそれは、あたしの魔法や知識を利用しようとしているあなたたちだって、似たようなものじゃない?」
「個人の復讐と一緒にして欲しくはないな」
「あらそう。あたしが言いたいのは、利害が一致してるなら手の組みようがあるってことよ。それでもあたしのことが信用できないなら、断ってくれても構わないわ。ただ言っとくけどね、どこかで妥協して手を打たなきゃいけないのは、あたしじゃなくて、あなたたちの方なんだからね」
「それは、そうかもしれないけど」
 反論の糸口が見つからなかったアストには、そう返すのが精一杯だった。
 確かに、利害は彼女たちと一致しているように思える。
 でも、打算という名の共通認識はあっても信頼はないという関係で、どこまで戦えるものなのかはわからなかった。
「とにかく、ここで腹の探りあいをしたってなにも解決しないんだから、こっちで勝手に決めさせてもらうわ。この村を襲ってる連中を追い払うまでは、あたしたちも一緒に戦ってあげる。それで文句ないでしょ」
「本当か?」
「ウソって言ってほしいの?」
「いや」
 魔女と行動を共にすることに対して、不安がないわけではない。しかし、自分たちが置かれている状況を打開するためには、やはり魔法に詳しい者の助力が不可欠だと思えた。
「とりあえず、問題になってる立体法陣を消すには、術者を強制的に排除するしかなさそうね」
「それで、村のみんなを元に戻せるのか?」
「恐らくね。解咒の方法を探す必要はあるでしょうけど、術者がいる限りは法陣が堅固に維持され続けるから、なにをやっても徒労に終わるはずよ」
「そうかよ……」
 魔法のことなど少しもわからないが、魔女が言うからには他に手がないのだろう。となれば、オレスや村のみんなを悪魔憑きの状態から解放するのは、後回しにするしかなさそうだ。それなら、一刻も早くマナミを見つけて、彼女を安全なところへ――
 そこまで思考を廻らせたところで、どすん、という激しい衝撃が《犬小屋》を襲った。重い金属の塊が転がっていくようなけたたましい騒音が後に続く。
「どうしたんだ!?」
「人を、轢(ひ)いちゃったみたい」
 エリウスの視線を追って前方の《覗き窓》を見遣ると、路地の奥に鎧姿の男が倒れているのが目に入った。



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